阿部正弘

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阿部正弘は、安政の改革で知られる江戸時代下期の人物である。官位は伊勢守。

概要[編集]

備後福山藩主。老中首座を務めていた。

1819年、家康以前からの徳川家臣である、福山藩主阿部家に生まれる。後の将軍、徳川家定より5歳上に当たる。
1836年に家督を継ぎ、福山藩主となる。1843年に老中、1845年に老中首座となり、国政を担う立場となる。
その後、ペリー来航など未曾有の一大事が続く中で、徳川斉昭島津斉彬といった諸大名の意見を募る様になった。これは、各藩が発言力を増す契機となり、文久の改革で藩主ではない島津久光が朝廷の後ろ盾で建白を行うまでに至った。 1855年に老中首座の位を堀田正睦に譲って辞任。1857年死去、福山藩主は甥の阿部正教が継いだ。