諏訪原城
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諏訪原城(すわはらじょう)とは、現在の静岡県島田市(旧金谷町)菊川城山に存在した日本の城である。現在は城跡のみで国の史跡に指定されている。
概要[編集]
永禄12年(1569年)に甲斐国の武田信玄が駿河国・遠江国に侵攻した際、信玄は武田四天王の一人である馬場信春を築城奉行に任命し、今福顕倍を城主に任命した。元亀4年(1573年)4月、武田信玄が死去して4男の勝頼が跡を継ぐと、勝頼は遠江東部の拠点である掛川城の押さえとして諏訪原城を大規模に修築し、天正2年(1574年)に高天神城を攻める際にはここを拠点にして勝頼は出陣している。天正3年(1575年)5月、長篠の戦いで勝頼が織田信長・徳川家康連合軍に大敗すると、家康は6月に掛川城に入って諏訪原城を攻撃したが、武田軍の頑強な抵抗に遭って容易に落ちる気配を見せなかったので、家康は兵糧攻めに切り替えて坑道作戦に出て、外郭から2の丸まで彫り通し、これにより諏訪原城は2ヶ月に及ぶ攻防戦の末に落城し、武田兵は諏訪原城を放棄して小山城に敗走した。
この城は別名・扇城(おうぎじょう)と呼ばれるが、その所以は標高200メートルの本丸を要として2の丸、3の丸を前面に同心円状に配しているためである。現在、城跡には諏訪神社や城跡碑が立ち、曲輪、空濠、土塁、井戸、馬出しなどの遺構がある。