浪岡城

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浪岡城(なみおかじょう)とは、現在の青森県青森市浪岡大字浪岡字地内にかつて存在した日本である。浪岡北畠氏居城として知られている。国の史跡に指定されている。

概要[編集]

記録によると、平安時代末期に奥州で力を振るった奥州藤原氏藤原秀衡の6男・藤原頼衡の末裔と称する藤原氏が浪岡氏を称して、旧浪岡町吉内に東山根城を築いて居城としたのが起源と言われている。

元弘3年/正慶2年(1333年)に鎌倉幕府足利尊氏新田義貞らの攻撃によって滅亡し、後醍醐天皇による建武政権が成立すると、同年に天皇は北畠顕家に息子の義良親王を奉じさせて多賀城国府に入れさせ、陸奥守として奥州の鎮護を命じた。これに対して建武元年(1334年)、当時の東山根城主である浪岡秀種は自ら顕家の下に出頭して部下となることを誓ったので、顕家は秀種の娘を妻に迎えることを許諾した。この娘・萩の局との間に生まれたのが長男の北畠顕成であるといわれており、彼が浪岡北畠氏の祖となったと言われている。

ただし以上のことは伝説に近い。確認できる史料では北畠氏が浪岡城を居城としたのは文中年間(1372年 - 1375年)であり、城が整備されたのは室町時代後期の応仁年間(1467年 - 1469年)の第4代城主・浪岡顕義の時代と見られており、史料の混乱が起きている。以後、浪岡北畠氏は北畠顕家の末裔に当たる名族として栄えたが、戦国時代天正6年(1578年)7月、この地における梟雄といわれた津軽為信の攻撃を受けて落城し、滅亡した。

記録では城構えは東館、検校館、西館、北館、猿楽館、新館、南館など7つの城郭を配しており、北館の外側には2重の土塁をめぐらして、大手門は東館の東側に、搦手門は西館の西側に存在するかなりの規模の堅城だったようである。浪岡川に臨んだ高台の上に石垣や土塁が現在は一部残存しており、城跡を示す石の標柱が建立されて、国の史跡に指定されている。

アクセス[編集]

  • 浪岡駅から徒歩で30分、浪岡駅からバスで5分(市民バス「青森空港経由青森駅行」乗車、「浪岡城跡」下車。(中世の館見学者は、「中世の館前」下車))。

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