品川台場
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品川台場
第三台場構内 | |
別名 | 品海砲台 |
城地種類 | 台場の一種 |
縄張 | なし |
城郭年代 | 近代 |
築城者 | 徳川家定・江川英竜 |
主要城主 | 城主存在せず |
近年の復元や整備 | 第三台馬を公園として整備 |
天守の現状 | 天守存在せず |
日本・続日本100名城スタンプ設置場所 | 公園センター潮風公園・管理事務所1階、お台場海浜公園マリンハウス1階 |
品川台場(しながわだいば)とは、かつて武蔵国江戸に存在した砲台の台場。お台場の名称の由来にもなっており、また品川台場自体をお台場と言う場合もある。
概要[編集]
江戸時代後期、ペリー来航を皮切りに外国船が頻繁に来航するようになった。これにより、全国的に砲台場の建設が必要とされてきた。
嘉永6年(1853年)、韮山反射炉など著名な建築物を作った韮山代官・江川太郎左衛門英竜(江川英竜)が造営のトップとして、建設を開始。計画では11箇所の砲台場を作る予定だったが、予算の関係などで6箇所に抑えられた。
しかし砲台は一度も弾を出すことは無く、明治維新で廃業し、約14年の幕を閉じる。昭和3年(1928年)に、1〜6の全ての台場が台場公園として開園した。
構成[編集]
純粋な軍事上の拠点で、江戸防衛の要であった。6個ずつ必ず台場には、砲台と弾置所、また弾薬置所に兵舎や竈場を備えていた。弾置所は砲弾の格納庫であり、佐賀藩の鍋島氏一族が鋳造した様式大砲が配備されていたとされる。
第三台場などにある砲架はコンクリート製で復元されたもので、現存していない。