白石城
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白石城(しろいしじょう)とは、現在の宮城県白石市益岡町1-16にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
この城は元々、中世において当地を支配した白石氏の居城であった。白石氏の没落後、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは上杉家の重臣・甘糟景継に代わって城を守っていた登坂勝乃は伊達軍の攻勢の前に降伏し、白石城含め刈田郡は伊達政宗の所領となった[1]。政宗は腹心の片倉景綱に1万3000石という大名並の大領を与えた上で、白石城を改修するように命じた。景綱は慶長8年(1603年)2月に白石城に入城すると同時に城下町の拡充、城の改築に尽力した。
この城は現在の白石市の街並みを東に見下ろす、標高76メートルの丘陵の上に存在していた。仙台藩内では青葉城を除いて明治維新まで続いた唯一の城でもある。そして、幕末の戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟締結の地としても知られている。
明治7年(1874年)に白石城は解体されたが、平成7年(1995年)に復元された。現在、城跡は益岡公園(ますおかこうえん)として市民に親しまれ、本丸と2の丸跡は桜の名所であり、本丸には片倉景綱頌徳碑が存在する。
アクセス[編集]
脚注[編集]
- ↑ 白石市教育委員会『白石城』(1979年)51-53頁。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 白石城(公式サイト)
- 奥州仙台領白石城絵図(国立公文書館デジタルアーカイブ)