小机城
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小机城
別名 | 飯田城、根古屋城 |
城地種類 | 平山城(丘城) |
縄張 | なし |
城郭年代 | 中世 |
築城者 | 山内上杉氏? |
主要城主 | 山内上杉氏、北条氏秀〜北条氏尭、笠原重政 |
近年の復元や整備 | 冠木門や柵の復元 |
天守の現状 | 天守存在せず |
日本・続日本100名城スタンプ設置場所 | 横浜市城郷小机地区センター 入り口 |
小机城(こづくえじょう)とは、かつて武蔵国橘樹郡(現・神奈川県横浜市港北区小机)に存在した日本の城である。
概要[編集]
築城者は不明だが、山内上杉氏かその家臣が文明5年(1473年)頃に築いたとされる。その後、山内上杉家では反乱を起こした長尾景春が、長尾景春の乱を勃発させるが、景春は徐々に追い詰められて家臣の矢部兵庫助が小机城に籠城する。敵方として参戦していた太田道灌は、近くにあった松の木に腰掛け、こう歌を詠んだ。
小机は まず手習いの 初めにて いろはにほへと ちりぢりとなる
道灌は北部にあった鶴見川対岸に布陣し、奇襲作戦で2ヶ月をかけて落城させた。道灌が歌を詠んだ松は「硯松」として現存していたが、近年枯れてしまい現在は石碑のみである。
その後、後北条氏が山内上杉氏を追い払うと、即時廃城となる。しかし、北条氏秀や北条氏尭が城主となり再興。以後、半世紀以上に渡り後北条氏武蔵支配の拠点となる。氏尭が永禄5年(1562年)に死去してから約30年程、城に関する資料が残っていないが、後北条氏が滅亡すると徳川家康の転封に際して家臣の笠原重政が入る。しかし、近辺にある台村に屋敷を置くこととしたため小机城は廃城となり、その歴史の幕を閉じた。
現在は城跡が「小机城址市民の森」として、丘陵地の竹林や雑木林の中に開園している。
構造[編集]
高さ約20m程の台地に本丸と二之丸からなる主郭部がある。主郭部の周りは土塁と堀で囲まれていて、大規模な土塁や空堀は見応えがある。二之丸には櫓台があり、中世城郭に存在する典型的な櫓があったとされる。