岩櫃城
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岩櫃城(いわびつじょう)とは、現在の群馬県吾妻郡東吾妻町原町1965-2にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
標高795メートルの岩櫃山の東側中腹にかつてあった山城である。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての建久年間(1190年 - 1195年)に吾妻助亮(吾妻太郎)によって築城された。後に斎藤氏が6代200年にわたって居城とする。室町時代には、上杉氏に従っていたが、戦国時代になると北条、武田、上杉の間で覇権が争われることとなる。
永禄6年(1563年)、甲斐国の武田信玄が上野国に侵攻した際、信玄の家臣であった真田幸隆の攻撃により落城する。永禄8年(1565年)からはおよそ2年間、清野刑部左衛門尉が支配する事となった。その後、幸隆の3男・真田昌幸が支配し、天正10年(1582年)に織田信長の武田征伐で武田勝頼が追い詰められた際、昌幸は勝頼に岩櫃城への逃亡を進めたが、勝頼は小山田信茂の岩殿城への逃亡を選び、勝頼は小山田の裏切りにあって自殺した。その後、昌幸の嫡子で沼田城主・真田信之の支配下になるが、徳川家康の命令を受けて廃城となった。後に真田家も松代に移封され、岩櫃城周辺は旗本領となる。
現在は城跡、本丸跡に遺跡碑が建てられており、展望が良い。