郡上八幡城
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郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)とは、現在の岐阜県郡上市八幡町柳町一の平に存在する日本の城である。
概要[編集]
郡上八幡城は山城で、告田川、小駄良川を自然の濠とした要害の山上にある。この城は美濃国の戦国大名である斎藤義龍に仕えていた家臣・遠藤盛数が永禄2年(1559年)に築城した。城主はその後、稲葉氏、遠藤氏、井上氏、金森氏とたびたび交代し、宝暦8年(1758年)に丹後国宮津藩から青山氏が入封して以後、明治維新まで青山氏の支配が続いた。遠藤盛数の時代は山城であったが、その息子の遠藤慶隆の時代に大改修が行なわれて2の丸、3の丸、隅櫓などを備えた平山城となった、
現在の天守閣は昭和8年(1933年)に再建されたもので、そのあたりはかつて山城であった頃の天守閣付近一帯が用地に当てられ、平山城の頃の本丸・2の丸跡は積翠神社と秋稲葉三尺坊の境内となり、3の丸跡には安養寺と善光寺が建立されている。