近鉄3000系電車

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近鉄3000系電車(きんてつ3000けいでんしゃ)は、かつて近畿日本鉄道に在籍していた近鉄京都線の電車の1形式。近鉄では最初で最後となるステンレス車であったが、2012年に廃車となった。

概要[編集]

京都市営地下鉄烏丸線への直通運転に向けて1979年に4連1本のみが製造された。同社初のオールステンレス車体に電機子チョッパ制御、更には電気指令式ブレーキの採用など、当時の近鉄としては画期的な装備となっていた。

主電動機は端子電圧340Vで165kWのMB-3240Aで、1C8M方式とされたが、MB-3240系の採用はこれが最初で最後となった。このモーターはMB-3064系と比べ、低速域から高速域にまで対応し、かつ桜井以東での抑速ブレーキにも対応していた。

台車は近鉄で実績のあるシュリーレン式空気バネ台車のKD-84系で、これは30000系ビスタカーの台車をもとに空気ばねの大直径化や軸箱のバネにゴムを入れるなどの改良を図ったものである。

なお、当初は京都方先頭車ク3502を切り離して3両編成での運転も可能であった。

その後[編集]

本系列は1編成4両のみの試作車であり、ブレーキ方式が電気指令式ブレーキであったにもかかわらず読替装置の開発が間に合わなかったことや他の奈良線車両と異なり指令式のマスコンであったことから限定運用を強いられ、1991年にはブレーキ方式を電磁直通ブレーキに改造されたことでこの制約は解消された。なお、後継の通勤車両である界磁チョッパ制御車1400系やVVVF車1233系などでも電磁直通ブレーキを採用し、電気指令式ブレーキはシリーズ21になってからブレーキ読み替え装置を搭載した上で本格採用となった。

これと同時にモ3002の運転台撤去も受けて4両固定編成となったが、妻面の灯具類や乗務員扉は残された。

2002年には車体更新が施行され、中間封じ込め先頭車の灯具類の撤去も行われたが、最後まで車椅子スペースは設置されなかった。

結局烏丸線乗り入れはアルミ製VVVF車の3200系が担うことになり、本系列の烏丸線乗り入れは叶わなかった。それどころか、奈良線での誘導障害対策が進まなかったため、奈良線の玉川工場以西への入線も最後まで行われず、終始京都・橿原線系統にて運用され続けた。

最終的に2010年頃から機器類の不具合により車庫で眠ることが多くなり、2012年3月の白紙ダイヤ改正をもって運用離脱。同年内にク3501の先頭部を残してすべて廃車解体となり、形式消滅した。

なお、チョッパ装置を8000系からの発生品である界磁位相制御に交換する計画もあったが、車体の変状によりボツになった。

関連項目[編集]