参宮急行電鉄

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参宮急行電鉄 (さんぐうきゅうこうでんてつ)は、かつて存在した鉄道事業者である。

概要[編集]

大阪電気軌道伊勢神宮参拝客獲得や志摩半島進出のために社運をかけて鉄道路線を建設することにしたが、先行して大和鉄道が、桜井 - 名張間の敷設免許を持っていたのと、莫大な資金が必要なために1927年9月28日に別会社を設立した。

桜井から宇治山田までの本線と、伊勢中川から江戸橋まての津支線を建設した。

1941年3月15日に大阪電気軌道と合併して関西急行鉄道と名称を変更した。

経営史[編集]

参宮急行電鉄の変遷
変更年月日 合併相手 合併相手資本金 合計資本金
1927年9月28日設立 - - 30000
1936年9月15日合併 伊勢電気鉄道 18250 45770
1940年1月1日合併 関西急行電鉄 8200 53970
1940年8月1日合併 養老電鉄 5000 58970
1941年3月15日合併 大阪電気軌道 45720 118970

建設史[編集]

参宮急行電鉄関西急行鉄道近畿日本鉄道
区間 キロ程 免特許年月日 開業年月日 備考
佐田駅-参急中川駅 13.6 1927年4月19日 1930年11月19日 大和鉄道から免許権譲受
参宮中川駅-松阪駅 8.4 1927年4月19日 1930年5月18日 大和鉄道から免許権譲受
松阪駅-外宮前駅 17.9 1927年4月19日 1922年4月1日 大和鉄道から免許権譲受
外宮前駅-山田駅 1.4 1927年4月19日 1930年9月21日 大和鉄道から免許権譲受
山田駅-宇治山田駅 0.6 1928年5月14日 1931年3月17日 参宮急行電鉄として免許権譲受

影響[編集]

  • 松阪駅を起点にした名松線名張経由で桜井までの建設を目指していたが、参宮急行電鉄の開業もあり、鉄道敷設法にもあった吉野を志向することもなく、伊勢奥津駅で建設が打ち切られ、大阪 - 東紀州間の時間短縮にも繋がった国鉄線による大阪 - 松阪間の短絡は実現しなかった。
  • 江戸時代名張街道上で繁栄した名張宿明治時代関西鉄道の開通で寂れてしまった。伊賀鉄道が開通したものの盲腸線の終点に過ぎなかった。駅用地が投機対象となって名張駅は街外れとなったものの、参宮急行電鉄の開通によって大阪市内に1時間強で結ばれるようになり、再び繁栄した。
    一方、伊賀鉄道は一旦大軌に合併された後、参急の路線となり、参急と並行する伊賀神戸以西は事実上貨物主体となった。
  • 100km以上の距離を標準軌直流電化1500Vで33‰勾配を高速で運転する20m級の鋼製電車の運行線区は大日本帝国ではここだけであった。

参考文献[編集]