近鉄1810系電車
近鉄1810系電車(きんてつ1810けいでんしゃ)は、近鉄大阪線・名古屋線系統に所属する鉄道車両の1つ。電算記号はHの10番台。
登場の経緯[編集]
名古屋線では1966年に大出力主電動機を採用したことにより1M2Tの限界運用を実現した1800系が登場していたが、その増備車として翌1967年に登場した。
本系列は同じく1M2Tではあったものの、運転台のない付随車が新たに登場したということが特筆できる。
構造[編集]
同時期の大阪線に現れた2410系に準じた21m級4扉丸屋根全鋼製車体を採用。この構造は2470系で一般化されたもので、以降1979年のサ1970形まで綿々と受け継がれていった。屋根上にはラインデリアが設けられたが、サ1970形のみは当初から冷房搭載で屋根に丸みがある。
座席はオールロングシートで、トイレはもたない。
主要機器は1800系に準じ、出力155kWの主電動機に発電ブレーキをもたない日立製のNMC(無接点型)制御器とされた。これにより1M2Tでの走行が可能になっているが、その際の性能が吊り掛け車1M1Tレベルになっていたという点は特筆できる。
ブレーキ方式も発電ブレーキをもたないHSCとされた。
台車についてはシュリーレン式空気バネ台車のKD-65系を採用し、乗り心地の改善が図られた。サ1970形のみはKD-87系とされた。
こうして1979年までに1M2Tの3連9本、1M1Tの2連8本の計43両が製造された。
改造[編集]
冷房化[編集]
1982年までに非冷房で落成した全車に対して冷房化が行われ、一部の編成にはパンタグラフの交換も施されている。
編成組替[編集]
1984年頃より1000系の車体更新が行われていたが、その際に大容量MGをもつク1910形とク1100形の振り替えとともに、サ1960形6両を電装の上でモ1050形に形式変更するという大掛かりな改造が施された。この際にそれ以外の付随車は2430系2M1T編成に組み込まれ、1810系のみの編成はすべて2両編成となり、1M2T編成は全滅した。
これに伴い、本系列の所用両数も37両に減少している。
車体更新[編集]
1985年から91年までに運転台なし付随車以外の全車に対して発電ブレーキの取り付けや方向幕設置を中心とした車体更新が行われた。なお、抑速ブレーキは搭載されていない。
B更新[編集]
1996年から2000年までにH24と25編成、および1000系からの編入車を除いた全車に2度目の車体更新が施行された。
運用と廃車[編集]
抑速ブレーキがついていないことから玉突き転属や運用減が発生すると1800系に続き真っ先に代替対象となり、2002年から廃車が開始され、特に2005年までに金属バネ台車の旧1000系からの編入車は全滅した。また、養老線へ転出しても使用期間が短いとみなされ、養老線への転出は行われなかった。
以降も廃車は進み、2022年現在はH26, 27の2編成および、サ1970形2両の合計6両のみが在籍する。なお、1000系への編入車については6両が現存し、1810系由来の車両は合計12両が現役ということになる。
名古屋線所属車は2連2本で、近年では所有数の少なさから普通・準急運用より急行の増結運用に回ることが多い[1]。大阪線所属車の2両についてはそれぞれ2430系のAG43, 33編成に組み込まれて主に大阪上本町 - 青山町間の普通から急行までの幅広い運用に就く。
名古屋線の4両については、車齢がすでに50年を迎え、抑速ブレーキも持たないため、2025年以降の新車投入時には真っ先に代替対象となり得る。そうでなくとも、運用減となった、あるいは他線区から2連が転属してきた際はいつ廃車となってもおかしくない[2]。また、大阪線の2両についても編成を組む2430系が代替対象、あるいは名古屋線への転属が可能な状態となっており、これが廃車された、または3連化されて転属したのに連動して廃車される可能性もある[3]ので予断を許さない状況にある。