近鉄1480系電車
近鉄1480系電車(きんてつ1480けいでんしゃ)は、近鉄大阪線系統にかつて存在した近畿日本鉄道の通勤車の1形式。後に名古屋線にも一部が転出したり、鮮魚列車に改造されたりしたが、2002年までに全車が廃車となった。
本項では、鮮魚列車に改造された1481系についても記述する。
登場の経緯[編集]
大阪線では1954年にモ1450形、1957年に1460系といった高性能車を投入し、さらに逼迫する輸送力に備え片側4ドアの1470系を投入してきたが、これらは全電動車で主電動機出力も低く、主に河内国分以西の区間車運用にて使用された。そこで、この1470系をベースに主電動機出力を上げ、付随車を挟んでも峠越え運用をできるようにした本系列が1961年に登場した。
形式別概説[編集]
ここでは、登場当時から存在した形式について取り上げる。車内はすべてロングシートで統一されており、当初は非冷房であった。
モ1480形[編集]
1481 - 98の9ユニット18両を製造。末尾偶数と末尾奇数の車両でユニットを組む。奇数車は中間電動車でABFM単位スイッチ式制御装置を持つ[1]が、後に登場した系列とは違い前後の窓配置が対称になっている。偶数車は先頭車でパンタグラフを1 - 2基備えるが、最終的に2基に統一された。出力125kW級のMB-3020系主電動機を大阪線で初めて採用しており、この主電動機自体は近鉄では1978年登場の2000系まで機器流用ながら使用されることになる。
ク1580形・ク1590形[編集]
前者を9両、後者を5両製造。ク1581 - 83の3両は当初からトイレを、ク1590形の5両は当初から電動発電機を備える。後に運転台を撤去してサ1780形やサ1550形に形式変更された車両も現れた。また、ク1580形の2両は電動発電機を取り付けられてク1590形に形式変更されている。
改造[編集]
センロク塗装からマルーン1色へ[編集]
初期に落成した1480系21両は名古屋線1600系と同一のベージュに青帯の塗装をまとっていたが、1965年にマルーン1色に変更された。
運転台撤去[編集]
時期は不詳だが、トイレのついたク1580形はいち早く名古屋線に転属し、1600系のク1780形となり、後に運転台撤去がなされてサ1780形に形式変更された。
また、後述の固定編成化の際にク1590形の4両が運転台撤去の上でサ1550形に形式変更され、2430系に組み込まれた。
冷房化・固定編成化・車体更新[編集]
1982年より冷房化が始まり、同時に固定編成化や車体更新も進められた。当初は中・後期車のみ冷房化・車体更新の対象となったが、1989年頃に初期車3本(うち1本は鮮魚列車向け)が追加で冷房化・車体更新の対象になっている。
なお、この過程でサ1550形4両の転用とサ1780形3両の存在があったことから編成を組むTc車が差し引き2両不足し、モ1496-モ1495のユニットは2410系のク2591と、モ1498-モ1497のユニットは2470系のク2583と固定編成化されている。
鮮魚列車1481系[編集]
上記の冷房化と同時に、1482Fがトイレ設置といった鮮魚列車向けの改造がなされて1481系に形式変更され、初代の鮮魚列車6両を置き換えた。
運用と廃車[編集]
主に大阪線全線で運用され、大阪線で4連運用が主体となった晩年には名古屋線にも出没していた。1481系については鮮魚列車の運用のみに就き、検査代走を2610系の明星車で行っていた。
廃車は1988年から始まり、最初に廃車されたのは非冷房の1488・90Fの6両で、翌年にはサ1780形の3両が冷房化されずに廃車された。1997年からは冷房車の廃車も始まり、1999年までに一般車は全廃。鮮魚列車として最後まで残った1482Fも2001年に2680系2683Fに代替されて運用を終了、2002年4月17日に廃車となり、1480系列は形式消滅した。
なお、1496Fに組み込まれていたク2591は2470系のク2581と差し替え、改めてT72編成の廃車の際に廃車解体。1498Fのク2583は電動車2両と運命を共にした。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 画像から判断。