大津城
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大津城(おおつじょう)とは、現在の滋賀県大津市浜大津5に存在した日本の城である。
概要[編集]
大津駅の北方、浜大津港の西側にある。大津は交通・軍事の上から重要な拠点であり、当時政権を掌握していた豊臣秀吉は天正13年(1585年)に義弟の浅野長政に命じて大津城を築城させた。天正15年(1587年)、秀吉は「大津百艘船の定書5か条」を下し、商業の統制を兼ねて琵琶湖の利権の掌握を図り、船奉行に湖東芦浦の観音寺を据えた。
文禄4年(1595年)に豊臣秀次が秀次事件で改易されると、京極高次が6万石で大津城主に任命された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、高次は当初は石田三成ら西軍に属していたが、やがて東軍に通じて寝返ったため、大津城は立花宗茂らの西軍勢に攻められて落城した。しかしこの大津城の戦いで徳川家康も恐れる名将・立花宗茂が足止めされて関ヶ原本戦に間に合わず東軍が勝利する一因を成したとまで言われている。以後、大津城は廃城となった。
江戸時代になると浜大津は琵琶湖の湖運を生かして港町として繁栄した。現在も浜大津港からは竹生島・彦根・長浜などをめぐる湖上遊覧船が出て、湖南や大津観光の中心的な拠点となっている。