彦根藩
彦根藩(ひこねはん)は近江国東部を中心とした一帯を治めた大名の井伊家が統治する藩である。
概要[編集]
藩祖は井伊直政。安土桃山時代より徳川家康に仕えて頭角を現し、三河武士でないにも関わらず譜代の重臣となった。
慶長9年 (1604年)、井伊直政の長男井伊直勝が居所を近江国の佐和山から彦根に移したことから、彦根藩が始まる。しかし、井伊直勝は部下をまとめきれず、家康の裁定により慶長20年(1615年)、安中に3万石を分与されて分家となった。井伊直勝は分家の初代として、本家の歴代当主に数えないことが多い。
第2代井伊直孝は家康から家督を継ぐよう命じられ父の遺領18万石の内、彦根藩15万石を継承した。井伊直孝は大阪冬の陣の戦功により5万石を加増され、20万石となった。その後、徳川家光からの信頼により徳川譜代大名の中で最高の30万石となった。譜代大名の中では筆頭格であった。
彦根35万石とは、領地の30万石に、彦根藩が幕府から預かる蔵米5万俵を加えた数字である。近江国(滋賀県)で28万石、武蔵国世田谷(東京都)と下野国佐野(栃木県)で2万石であった。
幕末の文久2年(1862)に「桜田門外の変」への処罰として10万石が召し上げられ、20万石となった。10万石没収と幕末の混乱の責任の押し付けの遺恨から、大政奉還後は彦根藩は新政府側となり、鳥羽・伏見の戦いでは新政府側についた。1869年の版籍奉還で井伊家は彦根藩知事となり、翌明治3年5月には、知事に次ぐ役職の大参事を置いている。
1871年の廃藩置県後は、彦根県を経て、彦根に県庁を置き近江国北部を県域とした犬上県となったが、1872年に滋賀県に統合された。
所在地[編集]
- 藩庁:彦根城(滋賀県彦根市金亀町1-1)
- 江戸屋敷
- 上屋敷(東京都千代田区永田町1丁目1-1) - 現憲政記念館、国会前庭北地区洋式庭園
- 中屋敷(東京都千代田区紀尾井町4‐1) - 現ホテルニューオータニ 赤坂喰違
- 下屋敷(東京都渋谷区代々木神園町1-1) - 現明治神宮、現大隈庭園早稲田
- 蔵屋敷(八丁堀)
- 江戸城控間:溜間
居城[編集]
慶長5年(1600年)、上野高崎城主で12万石の井伊直政(徳川四天王の1人)は関ヶ原の戦いの戦功により18万石に加増され、石田三成の居城であった佐和山城に入封して佐和山藩となった。
井伊直政は石田三成の居城を嫌ったため琵琶湖の湖岸の磯山に新城建設を計画したが、建設に着手する前に戦傷により慶長7年(1602年)に死去した。嫡男の直継(井伊直勝)は彦根山に新城の建設を開始し、慶長11年(1606年)に一部が完成すると彦根城に入城した(1622年に全体が完成)。それ以降は江戸時代を通じて井伊家は彦根城を居城とした。
菩提寺[編集]
彦根の龍潭寺は1600年に井伊直政が佐和山城主となった際、井伊家の発祥地の井伊谷龍潭寺を分寺し、龍潭寺の五世・昊天禅師を招いて建立したものである。よってどちらも菩提寺となる。彦根の清凉寺は第二代藩主の井伊直孝が開基した曹洞宗永平寺派の寺院で、菩提寺である。歴代藩主の画像を所蔵する。
寛永年間に世田谷が彦根藩領に組み込まれたことから、江戸表における菩提寺が豪徳寺となった。
歴代藩主[編集]
第二代の井伊直勝を含めるか否か、再勤した井伊直興と井伊直定とを別々に数えるか否か、により藩主代数が異なる。「藩主代数」は再勤した場合は、それぞれ別々に数える。「当主代数」は再勤しても同じ当主として2回目以降は独立して数えない。井伊家系図では「当主代数」で表示する。井伊家墓所は当主代数で表示されている[1]。井伊直政の子孫が廃藩まで大名として存続した。
藩主代数 | 当主代数 | 藩主 | 石高 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 1 | 井伊直政 | 18万石 | 初代。井伊直親の嫡男。 |
井伊直勝 | 18万石 | 上野安中藩へ、歴代に数えないことが多い | ||
2 | 2 | 井伊直孝 | 30万石(35万石格) | 江戸幕府大老。井伊直政の次男。 |
3 | 3 | 井伊直澄 | 30万石(35万石格) | 江戸幕府大老。井伊直孝の五男。 |
4 | 4 | 井伊直興 | 30万石(35万石格) | 江戸幕府大老、井伊直縄の長男、井伊直孝の孫。 |
5 | 5 | 井伊直通 | 30万石(35万石格) | 22歳で死去。井伊直興の8男。 |
6 | 6 | 井伊直恒 | 30万石(35万石格) | 藩主として50日弱の在職。井伊直興の10男。 |
7 | 井伊直興 | 30万石(35万石格) | 第4代が「井伊直該」と改名し還俗。 | |
8 | 7 | 井伊直惟 | 30万石(35万石格) | 37歳で死去。井伊直興の13男。 |
9 | 8 | 井伊直定 | 30万石(35万石格) | 井伊直興の14男。 |
10 | 9 | 井伊直禔 | 30万石(35万石格) | 28歳逝去。井伊直惟の次男。 |
11 | 井伊直定 | 30万石(35万石格) | 隠居後直禔の急死で再勤。 | |
12 | 10 | 井伊直幸 | 30万石(35万石格) | 井伊直英江戸幕府大老。井伊直惟の次男。 |
13 | 11 | 井伊直中 | 30万石(35万石格) | 稽古館を創設。井伊直幸の六男。 |
14 | 12 | 井伊直亮 | 30万石(35万石格) | 江戸幕府大老。井伊直中の三男。 |
15 | 13 | 井伊直弼 | 30万石(35万石格) | 江戸幕府大老。井伊直中の十四男。 |
16 | 14 | 井伊直憲 | 30万石→20万石→23万石 | 最後の彦根藩主。井伊直弼の二男。 |
外部リンク[編集]
- 彦根藩主井伊家墓所文化財オンライン