1607年
ナビゲーションに移動
検索に移動
1607年(せんろっぴゃくなな(しち)ねん)は、1600年代の7年目のことであり、日本の元号では慶長12年である。日本の天皇は第107代天皇・後陽成天皇である。江戸幕府の征夷大将軍は第2代将軍・徳川秀忠である。
日本の出来事[編集]
- 2月 - 徳川家康が駿府城を隠退の地と定めて江戸から移る。出雲阿国が江戸城において歌舞伎踊を披露する。
- 4月 - 林羅山が将軍・徳川秀忠の侍講に任命される。
- 閏4月 - 結城秀康が死去(34歳)。
- 5月 - 李氏朝鮮の国使である呂祐吉が秀忠に対して国書を進呈する。秀忠は復書を与えて日本・李氏朝鮮間の国交回復を約束する。李氏朝鮮の使節が駿府城で徳川家康に謁見する。
- 7月 - 駿府城の修復が終わり、家康が入城する。
- 8月 - 伊達政宗が仙台大崎八幡宮を造営する。
- 10月 - 家康が秀忠に金3枚(30万両)、銀1万3000貫(26万両)を与える。
- 12月 - 仙洞御所の造営が終了する。駿府城が火災に見舞われる。京都北野神社の本殿が完成する。
- 月不明 - 角倉了以が富士川を疏通して甲斐・駿河の舟運を開く。佐竹氏が出羽院内銀山の運上を幕府に納める。疱瘡が流行する。