1602年
ナビゲーションに移動
検索に移動
1602年(せんろっぴゃくにねん)は、1600年代の2年目のことであり、日本の元号では慶長7年である。朝廷は後陽成天皇である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 大永2年(1522年)以来、宮中の殿上淵酔の儀を再興する。
- 2月 - 井伊直政が死去(42歳)。本願寺光寿が東本願寺を創建する。
- 3月 - 島津義久が徳川家康に誓書を提出する。
- 4月 - 里村紹巴が死去(79歳)。美濃国で大洪水が起こり、人馬に大被害が出る。徳川家康が島津義久の所領を安堵する。
- 5月 - 徳川家康が諸大名に二条城を普請させる。佐竹義宣が出羽国秋田に減移封され、秋田実季が常陸国に移され、陸奥国の岩城貞隆らにも処分が下され、関ヶ原の戦いにおける戦後処理が終わる。
- 7月 - 尾張国に大雨で洪水が起こる。
- 8月 - 徳川家康の母親である水野氏(伝通院)が死去(75歳)。
- 10月 - 小早川秀秋が死去(21歳)。
- 11月 - 豊臣秀頼が嵯峨清涼寺釈迦堂を造営する。
- 12月 - 京都方広寺の大仏殿が火災に見舞われる。島津忠恒が伏見城で徳川家康に謁する。
- 月不明 - ドミニコ会、アウグスチノ会の宣教師が初来日する。海北友松が山水図屏風を描く。