1604年
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1604年(せんろっぴゃくよねん)は、1600年代の4年目のことであり、日本の元号では慶長9年である。日本の天皇は第107代天皇・後陽成天皇である。江戸幕府の征夷大将軍は初代将軍・徳川家康である。
日本の出来事[編集]
- 1月 - 徳川家康が松前慶広に対して蝦夷統治条例3か条を与える。禁中で四方拝・吉書始・七種粥・庚申侍・甲子侍・小豆粥・左義長などの行事が行なわれる。
- 2月 - 家康が毛利輝元の居城を萩の指月山に指定する。島津義久が琉球王国の国王・尚寧の来聘を促す。
- 3月 - 黒田如水が死去(59歳)。島津義弘が帰化した朝鮮人に苗代川に窒を築かせ、これが薩摩焼の基となる。家康が上洛の途上である熱海で入浴する。
- 4月 - 関東で大風雨・洪水に見舞われる。
- 5月 - 京都・堺・長崎に糸割符年寄を置いて糸割符制度を開始する。
- 6月 - 旱魃が続き、雨乞いが行なわれる。人吉藩主・相良頼房が母親を人質として江戸に送る。
- 7月 - 近江・山城が大雷雨に見舞われる。
- 8月 - 島津忠恒・角倉了以・今屋宗忠らに家康が渡航許可の朱印状を与える。畿内・南海道・東海道・東山道などが強風に見舞われる。豊国神社で臨時祭が行なわれる。
- 12月 - 東海道・東山道・南海道・西海道で地震・津波が起こり、大被害を受ける。
- 月不明 - 狩野重郷が『豊国祭図屏風』を描く。東海道・東山道・北陸道の諸街道の修理が行なわれ、初めて一里塚が築かれる。加賀藩主・前田利長が十村の制を定める。盛岡藩主・南部利直が陸奥白根金山を採掘する。