新潟市
新潟市 (にいがたし) は、日本の地方公共団体の一つ。日本海側にある唯一の政令指定都市である。
概要[編集]
新潟県に位置し、同県の県庁所在地であり、日本海沿岸有数の港湾都市、商業都市である。また、日本で最も長い河川として有名な信濃川[注 1]の河口を形成する。
市街の大部分が越後平野に含まれて平坦であり、東部を阿賀野川、ほぼ中央を信濃川が北に流れて日本海に注いでいる。
信濃川の河口付近に堆積した沖積土砂上に中心の新潟市街の家並みが広がっている。旧市街の本町(ほんちょう)通りや古町(ふるまち)通り、西堀地下街周辺に中心繁華街が形成され、新潟駅や万代シティのある東側はビジネス街として発展している。
本市は新潟県の中央からやや北寄りに位置する。北西部は日本海に面している。
歴史[編集]
市の歴史は古く、大化年間(645年 - 650年)にこの地に蝦夷地(現在の北海道)経営の拠点として、淳足柵(ぬたりのき)が設置されている。戦国時代の上杉謙信の時代である永禄11年(1568年)には、記録上に「新潟」の名が登場している。また、この地は信濃川河口左岸の浜側を天文20年(1551年)に湊町として成立している。
天正6年(1578年)に上杉謙信が死去し、御館の乱という継承争いを経て養子の上杉景勝が跡を継ぐ。しかし景勝は功労のある武将に対し不公平な恩賞を施したために家臣の一部が反発し、そのひとりである新発田重家は天正9年(1581年)に織田信長に通じて反乱(新発田重家の乱)を起こし、新潟津を占領してしまった。後に本能寺の変が起きて信長が横死すると重家の勢力は急速に衰え、景勝によって天正15年(1587年)に反乱は平定された。
江戸時代になると元和2年(1616年)、当時の越後長岡藩主・堀直寄が藩領であった新潟の港としての立地条件を生かして農家や商家を信濃川の河口付近に集めて町作りに尽力し、商人に対しては免税などの優遇・保護政策をとって新潟市街の基礎を築き上げた。直寄は元和4年(1618年)に本庄村上藩(村上市)に移封され、代わって徳川氏の譜代の家臣である牧野氏が新たな長岡藩主として入封する。牧野氏も直寄の新潟に対する優遇・保護政策を受け継いで町づくりに尽力する。寛永10年(1633年)に洪水が発生して阿賀野川と信濃川が合流して河口の深水が深くなったため、新潟が良港としての条件がさらに整うことになった。明暦元年(1655年)に信濃川に並行して西堀、東掘が開削された。寛文12年(1672年)、新潟港は河村瑞賢が開いた西回り航路の寄港地となり、これを機に新潟は大いに繁栄することになった。記録によると元禄10年(1697年)の入港船舶は3500隻に及び、取扱い貨物の総額は17万8000両に達したという。ところが享保16年(1731年)に信濃川と阿賀野川の分水工事のために港の水深が浅くなるという事態になり、これにより船舶の新潟への入港が困難になって一時的に衰退を余儀なくされた。
嘉永6年(1853年)にマシュ・ペリーによる黒船来航、そしてその5年後である安政5年(1858年)に日米修好通商条約が締結されると、この際に長崎・神戸・神奈川(横浜)・函館と並んで新潟が開港場として指定された。これにより新潟は再び良港としての立場を取り戻してゆくようになる。明治時代になると信濃川の改修工事、埠頭工事が行なわれる。これは大正時代にかけて行なわれた一大プロジェクトであった。そして昭和に入って満州国が成立すると、日満航路の港として新潟港は整備された。これらの歴史により、新潟港は現在でも日本海沿岸有数の港湾都市となっており、市域の東隣の聖籠町との境界付近には大規模な新潟東港も構築された。
市街の歴史としては、昭和30年(1955年)10月に大火災が発生し、昭和39年(1964年)6月に新潟地震が発生して壊滅的な被害を受けた。これにより「堀と柳と美人の街」として多くの人に親しまれた古い家並みや市街は失われたが、この復興のために道路も拡張・整備されて新潟市街は新たな近代都市へと装いを一新した。
昭和57年(1982年)11月に、大宮暫定始発で上越新幹線新潟駅が開設され、昭和60年(1985年)3月には東京の上野駅と2時間弱で結ばれるようになった。
市域の変遷[編集]
明治22年(1889年)4月、市町村制が実施されると同時に新潟市が成立する。大正3年(1914年)4月に沼垂町を、昭和18年(1943年)6月に大形村を、同年12月に石山村・鳥屋野村を、昭和29年(1954年)4月に松ヶ崎浜村を、同年11月に南浜村・濁川村・坂井輪村を、昭和32年(1957年)5月に大江山村・曽野木村・両川村を、昭和35年(1960年)1月に内野町を、昭和36年(1961年)6月に赤塚村・中野小屋村をそれぞれ編入した。そして昭和35年(1960年)4月に豊栄町と一部境界の変更を行なっている。
平成17年(2005年)3月21日、豊栄市、新津市、白根市、亀田町、小須戸町、横越町、西川町、味方村、月潟村、中之口村、潟東村、岩室村などが編入されて新しい新潟市が成立。
2007年(平成19年)に政令指定都市となり、市内に中央、北、東、江南、秋葉、南、西、西蒲の8行政区を設置した。
新潟市の見どころ[編集]
- 白山神社
- 白山公園
- 新潟県政記念館(新潟県議会旧議事堂。国の重要文化財)
- 新潟市美術館
- 瑞光寺
- 金刀比羅神社
- 新潟市郷土資料館(旧新潟税関庁舎。国の重要文化財・史跡)
- 北方文化博物館新潟分館
- 日本海タワー
- 会津八一記念館
- 護国神社
- 新潟市西海岸公園
- マリンピア日本海
- 蒲原神社
- 法光院
- 新潟県立自然科学館
- 鳥屋野潟
- 新潟市レインボータワー
- 鳥屋野サカサダケの藪(国の天然記念物)
- 佐潟公園
人口の変遷[編集]
新潟市の人口は平成8年(1997年)の時点で48万1353人、平成29年(2017年)10月1日の時点で80万4152人である。平成8年の時点では合併前の新潟市単独でのデーターであり、合併する前の豊栄市(4万9047人)、新津市(6万7125人)、白根市(3万9460人)、亀田町(3万1940人)、小須戸町(1万707人)、横越町(1万300人)、西川町(1万2406人)、味方村(4791人)、月潟村(3978人)、中之口村(6756人)、潟東村(6432人)、岩室村(1万113人)を合わせると73万4408人となる。新潟の県庁所在地への一極集中が進んでいるのが現状といえる。なお、豊栄市、新津市、白根市、亀田町、小須戸町、横越町、西川町、味方村、月潟村、中之口村、潟東村、岩室村の人口は平成8年時点でのデーターである。
新潟市の特産品[編集]
- 地酒
- 「今代司」「越の華」「越乃寒梅」「日本海」「越の関」「鶴の友」「朗」「白露」
- 米菓
- 和菓子
- ありの実
- 笹団子
- 甘露梅
- 鯛の子塩辛
- 越後味噌漬
- 南蛮海老
- 玄米茶
- 蒲鉾
- おけさ人形
- のろま人形
- 文弥人形
- 竹ブローチ
- ネックレス
- 家具
新潟市の年中行事[編集]
- 白山神社どんと祭(1月15日)
- とやの湖桜祭り(4月上旬 - 中旬)
- 護国神社春祭り(5月5日 - 5月8日)
- 蒲原祭り(6月30日 - 7月3日)
- 新潟祭り(8月7日 - 8月9日)
- 新潟菊祭り(10月下旬 - 11月下旬)
スポーツ[編集]
- サッカー
- プロ野球
- イースタン・リーグに参加するオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブが、市内の新潟県立野球場を本拠地としている。
メディア[編集]
- テレビ・ラジオ
交通[編集]
新潟駅、新津駅を中心に比較的どの駅も利用者が多い。上越新幹線も通っている。
新潟市ゆかりの人物[編集]
出身区が明確な出身者は各区のページを参照。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- 注
- 出典