日本海
日本海(にほんかい)は、ユーラシア大陸の北東に存在し、日本列島とサハリン(樺太)によって太平洋から分離されている海域である[1] 。
概要[編集]
範囲はアジア大陸とサハリンの間の間宮海峡(タタール海峡)、サハリンと北海道間の宗谷海峡、北海道と本州の間の津軽海峡、九州と対馬の間の対馬海峡東水道、対馬と韓国の間の対馬海峡の内側をさす。
海流[編集]
島嶼[編集]
航路[編集]
江戸時代に内航海運が発達し、沿岸には北前船の寄港する港町が発展した。現在でもその面影が強く残っている。舞鶴港、敦賀港、伏木港、新潟港のように重要港湾となって今に至る港もある。
名称[編集]
日本海は、日本海に対する国際的に確立した唯一の呼称である[1]。18世紀終わりから19世紀の初めにかけて欧州において命名された海の名前である[1]。その後、約200年にわたって日本海の名称は通常に使用されている[1]。
呼称問題[編集]
韓国・北朝鮮が日本海の名称に異議を唱えたのは、1992年の第6回国連地名標準化会議が最初である。それ以前は、日本海の名称に異議が唱えられたことは無かった[2]。
韓国等は日本海の表記を「東海(East Sea)」と単独に表記するか、あるいは日本海と「東海」を併記すべきであると主張してきたことから『呼称問題』発生した[2]。韓国や北朝鮮では、東海(トンヘ)の名称で通っているが、外務省のホームページによると以下の記載がある。厳正さを保持するため原文を引用する。『日本海は、日本海に対する国際的に確立した唯一の呼称です』[2]
外務省のホームページによると日本政府の古地図を調査した結果、19世紀初頭には日本海の呼称が他を圧倒して使われるようになった事実が確認されている[2]。この時期の日本はいまだ鎖国政策をとっており、日本海の名称確立に何らかの影響力を行使することは不可能であった[2]。
したがって、19世紀後半の「日本の拡張主義や植民地支配」以前から日本海の呼称が使われていたことになる[2]。
このため韓国側の主張は全く妥当性に欠ける。また、最近では、韓国政府も、「日本海の名称が日本の拡張主義や植民地支配の結果広められたものではない」ことを認めたと評価できる調査結果を発表している[2]。
日本国は、日本海の呼称に対する希薄な根拠にもとづく主張に反対するとともに、日本海の単一呼称を継続するため、世界に対して、日本海に対する正しい理解と日本への理解と支持を求めており、国連をはじめとする多くの国際機関によって認められている[2]。
その他[編集]
大阪駅と青森駅を日本海縦貫線経由で直通で結ぶ列車について1950年に急行、1968年に特急の愛称に充てられた。