刈羽村
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概要[編集]
新潟県の中部のやや南西寄りに位置する村である。戦国時代には上杉謙信の家臣で「越後の鍾馗」と称された名将・斎藤朝信がこの地を支配していた。
明治22年(1889年)4月に市町村制が実施された際に刈羽村が誕生する。明治34年(1901年)11月に勝山村・東城村の一部を編入し、昭和31年(1956年)9月に中通村の一部を編入し、昭和34年(1959年)4月に二田村の一部をそれぞれ編入した。
この村域の東部と西部には海抜100メートル前後の丘陵地が起伏するが、ほぼ中央を南に流れている別山川の流域には肥沃な沖積低地が開けている。主な産業は農業であり、水稲や野菜作り、果物の生産を中心に行なわれているが、南に隣接する柏崎市の経済圏に含まれており、その影響力を強く受けている。見どころとしては刈羽貝塚、片田遺跡、赤田城跡などの旧跡、常楽寺や東福院などの旧跡が存在する。
柏崎刈羽原子力発電所の敷地のうち一部が刈羽村に属する。
公式サイトによれば、村役場主宰のケーブルテレビ「ミルフォ」を運営しているらしい。どうも2011年頃に下水道を導入し汲み取りから水洗へと転換中のようだ。下水道への新規管路は申請制の様子。