三条市
三条市(さんじょうし)は、日本の新潟県に存在する地方公共団体の一つ。「金物の街」「三条金物」で有名である。
概要[編集]
新潟県のほぼ中央の辺りに位置している産業都市である。まず三条市を歴史的に見ると、室町時代前期(南北朝時代)の記録では既に「三条」と記されているため、この頃までには三条とこの地は呼ばれていたようである。室町時代の越後の守護大名は上杉氏であるが、この三条にはその上杉氏を補佐する守護代の長尾氏が置かれ、長尾氏は三条島城を築いて支配している。
江戸時代になると、元和2年(1616年)に越後三条藩主に4万1100石として封じられた市橋長勝が、現在の古城・日吉町付近に新たに三条城を築城し、同時に城下町の建設も始まった。これが現在の三条市の基礎となる。しかし寛永19年(1642年)に三条城は廃城とされ、信濃川の河港、定期市場町、奥州街道の宿駅として発展し、中越地方の商業的な中心地として大いに繁栄した。
享保年間(1716年 - 1736年)、五十嵐川の洪水に悩む当地の農民らが副業として家釘を造り始めたのを起源にして、「三条金物」の伝統が開始される。この伝統は現在の包丁などの刃物類、作業工具、測定器具、アウトドア用品などハイテクを駆使して様々な金物を生産し、三条市を代表する主要な産業となっている。三条金物の名は高く、国内外に様々な製品が移出されるようになっている。
明治22年(1889年)4月に市町村制が実施された際、三条町が誕生。明治30年(1897年) には、信越本線の前身の北越鉄道が一ノ木戸駅(現・東三条駅)、翌1898年に三条駅を開設する。明治34年(1901年)に木戸村を、大正9年(1920年)10月に裏館村を、大正13年(1924年)1月に本庄寺村の一部を、昭和2年(1927年)10月に栗林村の一部をそれぞれ編入した。
1925年(大正14年)には、弥彦線の前身の越後鉄道が北三条駅を開設する。昭和9年(1934年)1月に市制を施行して三条市が誕生した。昭和26年(1951年)6月に井栗村を、昭和29年(1954年)に大崎村・本成寺村の2村を、昭和30年(1955年)1月に大島村を併合した。そして平成17年(2005年)5月1日に平成の大合併により、三条市・南蒲原郡栄町・南蒲原郡下田村が合併した。
この市の南西部には海抜150メートルから200メートルの丘陵があり、北西部を北東に流れる信濃川の流域には新潟平野に続く肥沃な沖積低地が開けている。中央の西寄り、信濃川の右岸沿いに中心部の三条市街が形成されている。その他、昭和53年(1978年)に西の燕市との境界線に北陸自動車道の三条燕インターチェンジが開設され、昭和57年(1982年)11月に上越新幹線の燕三条駅が開設されるなど、交通網の整備も進められている[注 1]。
市の主要産業としては金属製品のほか、プラスチック製品、木工製品などが挙げられる。
三条市の見どころとしては、三条八幡宮・本成寺・乗蓮寺・長泉寺・三条別院といった古寺が非常に多い。
三条市の見どころ[編集]
人口の変遷[編集]
平成8年(1997年)の時点で三条市の人口は8万6584人であったが、平成29年(2017年)の時点で9万7480人となっている。ただし平成8年の人口は三条市単独での人口であり、合併する前の下田村(1万2225人)と栄町(1万2075人)を加えた場合、11万884人となるため、過疎化が進んでいると言わざるを得ない。なお、下田村と栄町の人口も平成8年時点のデーターである。
三条市本社の主な企業[編集]
- コロナ (住宅関連機器メーカー)
- ハーモニック(カタログギフト販売業)
- オーシャンシステム(食品小売業)
三条市の特産品[編集]
三条市の年中行事[編集]
出身著名人[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- 注
- 出典