都道府県
都道府県(とどうふけん)とは、日本を市町村単位から更に広い範囲で区切った地域、行政区画であり、「都」「道」「府」「県」の総称である。2016年(平成28年)現在、県は43県、都は東京都のみで1都、道が北海道のみで1道、府が京都府と大阪府で2府あり、合わせて「1都1道2府43県」、総数で「47都道府県」となる。
歴史[編集]
明治から戦前[編集]
最初の都道府県は、1868年(明治元年)に設置された、函館府、そして京都府のみだった。(すなわち当時は「府」と「藩」が共存。他の幕府領は「裁判所」次いで「県」の名称で行政を行なっていた。)1869年7月、藩の土地や人民は大名から中央政府へ没収され(版籍奉還)たが、藩主は知藩事として領内の首長となっていた。そして1871年8月29日(明治4年7月14日)、知藩事は中央政府からクビを宣告され(廃藩置県)、3府302県となり国から県令が地方官吏として送り込まれ、二段階の府県統合を重ねて1876年(明治9年)に最少の3府34県となった。西南戦争後は一部で県が分立して県の数が増加し、1888年(明治21年)の愛媛県から香川県の分立を最後に府県の数は固定化し、県令も知事の名称となった。北海道は開拓使を経て札幌、函館、根室の三県が分立したが頓挫。1886年(明治19年)国が任命の道長官を長とする北海道庁が置かれた。
その後は、1893年(明治26年)4月に三多摩が神奈川県から東京府に移管したのが大きな変化となった。
府県は、明治時代から戦時中は府県制という制度で、府県域の行政事務を担うも、その事務は内務省の完全監督下に置かれ、府県庁および府県組織は中央政府の末端機関としての役割を果たし、府県知事は官選だった。加えて、明治中期から大正にかけ、府県と町村の中間機関として郡庁が置かれていた。
太平洋戦争中に東京府が、親任官である都長官を長とする都制を施行したため「1都3庁2府43県」になった。また、府県の下部組織として1または複数の郡を管轄する地方事務所が設置された。
なお、朝鮮半島と台湾は地方組織として総督府が置かれた[注釈 1]。加えて樺太と南洋諸島には、大正から昭和にかけて北海道同様に「庁」が置かれた。
終戦後[編集]
終戦により樺太と沖縄などを喪失したのち、現在の都道府県制度の基礎が1947年(昭和22年)5月3日の地方自治法施行により定められた。この当時は「1都1道2府42県」。1972年(昭和47年)の沖縄返還によって沖縄県が復活したことで、現在の47都道府県が出来上がった。
地方自治法により、都道府県庁および都道府県の組織は内務省傘下の機関から、名目上中央政府から独立した地方公共団体へ変化し、知事も官選から、有権者の投票で選出される民選知事となった。また、教育と地域治安に関しては、独立委員会である教育委員会と公安委員会が置かれた。
なお、現在北方領土で問題になっている国後島や択捉島などは、北海道に属していることになっている[注釈 2]。
憲法や地方自治法によって、都道府県に自治が保障されているものの、年々中央政府依存が強まっている。それと共に、近年都道府県への一極集中の流れが加速しており、地方都市にとって県庁所在地(およびその周辺)とそれ以外の都市とのあいだで、明確な格差が拡大している実態がある。このため県庁所在地以外の都市はその持てる潜在能力を発揮することが非常に困難な状態に置かれており、人口も全国的には減少傾向であるが県庁所在地は人口減少率がその多くで明らかに低く、結果として県庁所在地に集中する流れは、人口という点からしても今後加速される傾向にある。
こうした状況の打開のため、大前研一が自著で「廃県置藩」のフレーズを使っているように、二度の世界大戦の敗戦にも関わらず、神聖ローマ帝国末期以降も崩れていないドイツの強力な州自治や都市自治を範に、日本の地方自治の更なる充実(特に、東京一極集中の打破にもつながる国外行政プロモーションの充実や経済政策の自立)[注釈 3]を訴えている識者もいる。
日本の都道府県[編集]
- 北海道地方: 北海道
- 東北地方: 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県
- 関東地方: 茨城県 栃木県 群馬県 埼玉県 千葉県 東京都 神奈川県
- 中部地方: 新潟県 富山県 石川県 福井県 山梨県 長野県 岐阜県 静岡県 愛知県
- 近畿地方: 三重県 滋賀県 京都府 大阪府 兵庫県 奈良県 和歌山県
- 中国地方: 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県
- 四国地方: 徳島県 香川県 愛媛県 高知県
- 九州地方: 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県 沖縄県
名称について[編集]
都[編集]
東京都のみが「都」を名乗っている。かつては東京府であったが、第二次世界大戦のと時に東京ジャイアニズムを推進し戦時体制を強化するために東京府と東京市を合併し、東京都となった。なお、大阪も「都」にしようという勢力がある。
道[編集]
北海道のみが「道」を名乗っている。それ以前、函館県、札幌県、根室県と3つの県があったが、いずれも人口が少ないこともあり合併となった。合併しても県にしては人口が少なすぎる一方で、到底県とは呼べない巨大な面積を持つことになった故か、県ではなく、内務省半直轄の「北海道庁」となり、郡は本州などより早く存在意義を失って複数の郡を管轄する支庁となり、町村も自立可能な1級町村と国の支援が必要な2級町村に分類された。発足当時は全国一人口の少ない道府県であったが、現在は人口が増え、上位に位置している。
府[編集]
大阪府と京都府の2つがある。明治維新時点では、徳川天領のうち重要都市(奉行管轄地[注釈 4])が「府」とされたが、その後三大都市[注釈 5]を除いてほとんどが県になった。後に東京都は都に移管し、京都と大阪だけが府として残った。
県[編集]
全国のほとんどがこの「県」という単位である。武士の所領をルーツとし、江戸時代のいわゆる「藩」の形になったが、明治の廃藩置県で県知事が国から任命される形の「県」という行政単位になった。その後、合併を中心とした県の再編が行われ、現在の43県となっている。
なお、東京都品川区にはかつて「品川縣」があった[1]。
ちなみにJR品川駅は品川区ではなく港区にある。
コード[編集]
総務省(当時:自治省)が、昭和43年に情報処理の効率化と円滑化に資するため、コード標準化の一環として全国の都道府県に都道府県コード(および市区町村コード)を振った。
北海道地方[編集]
- 1:北海道
東北地方[編集]
関東地方[編集]
中部地方[編集]
近畿地方[編集]
中国地方[編集]
四国地方[編集]
九州地方[編集]
と定められている。
脚注[編集]
- 注釈
- ↑ 朝鮮半島には、大韓帝国の13道の区画で総督府傘下の道が置かれた。
- ↑ 但し、2016年現在はロシアの占領下に置かれている。また、南樺太は北海道には属していない。北千島は北海道に属していた。
- ↑ 尤も、こうした地方自治を可能にするには自治体に企業の経営者にも匹敵するような運営感覚を持ち、長期間デンと構える吏僚が必要だが、戦後からバブル崩壊までこうした人材は東大卒を経て、国家公務員に向かってしまい。都道府県庁へは旧自治省を通じて短期間キャリアとして居座るだけの状態となっていた。
- ↑ 3大都市以外では、函館、新潟、神奈川、甲斐、度会、奈良、長崎に府が置かれた。
- ↑ 東京・京都・大阪。名古屋が京都・大阪クラスの大都市になるのは、自動車産業の発展以降。
- 出典
- ↑ 「品川縣ビール公式オンラインショップ」(https://www.shinagawaken.jp/)
外部サイト[編集]
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