択捉島

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択捉島(えとろふとう、Итуруп)とは、北方領土のひとつである。面積は3182.65平方キロメートル。

概要[編集]

ロシアが実効支配している極東の島でイトゥルップ(Итуруп)と呼ばれている。

北方四島最大の島である。アイヌ人がエトロフと呼び、「岬の多い島」という解釈や「エツ・オロ・プ」すなわち「鼻の中のもの」の意味で、人が鼻水を流しているように見える岩があるとの説などがある。また、オセアニアの古い言語であるマオリ語の「エト・ロプ=幅が細くて高い」からではないかとする解釈もある。

この島は江戸時代前期の寛永20年(1643年)にオランダド・フリースが発見し、「スターテン・ランド」と命名する。これは国家島を意味する。江戸時代中期の明和2年(1766年)にイワン・チョールヌイが到達した。江戸時代後期に日本近海で欧州列強の影が強まると蝦夷地探索が急務となり、寛政10年(1798年)に近藤重蔵が島に「大日本恵登呂府」の碑を建立し、ここに日本の最初の領土宣言を行なったと言われている。

広大な原生林に覆われ、手付かずの自然が多く残されている。

島内の紗那(クリーリスク)に残る日本建築のひとつ「旧紗那国民学校」は、2023年1月に地元の子供の放火が原因で全焼した。1902年に建設された中央気象台の旧観測所は閉鎖されている。建物内のセイコー社の柱時計は2023年5月に地元の博物館に寄贈されいている。

紗那川の上流の1920年建設のサケ・マス孵化場は1999年以降はギドロストロイという水産建設企業が使っている。

交通[編集]

  • ヤースヌイ空港 (Аэропорт Ясный)
  • ブレヴェスニク空港 (Аэропорт Буревестник)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]