三戸城
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三戸城(さんのへじょう)とは、現在の青森県三戸郡三戸町大字梅内字城ノ下にかつて存在した日本の城である。現在は城山公園となっている。
概要[編集]
この城は平安時代末期の文治5年(1189年)に南部氏の所領となった際、第3代目の当主である南部時実が鎌倉時代中期に築城したといわれている。その後、城下町として発展したが、城が整備されたのは安土桃山時代の第26代当主・南部信直の時代のことといわれている。
江戸時代前期に江戸幕府による一国一城令が出されると、第27代当主・南部利直は居城を盛岡城に移したので、三戸城は廃城となった。ただし、この地が要地だったため、盛岡藩からは代官所が設置されて支配下に置かれた。この城が馬淵川と熊原川が落ち合うあたりの台地上にあった要衝のこともあったのだろう。現在では石垣と空堀、本丸跡が残されている。
城跡には昭和42年(1967年)完成の天守閣が建立されており、南部氏の祖・南部光行を祀る糠部神社や昔ながらの鶴池、亀池などのほか、グラウンド、町民プールなど多くの施設が存在する。また、現在は城山公園となっているが、公園内には千数百を数える桜が植えられており、その他にヤマブキ、ツツジ、カエデ、アジサイ、梅、松なども植樹されて季節ごとに楽しめる景観となっている。また、城跡からは市街地や林檎園、水田などの景観を見渡すこともできる。