異戦国志

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異戦国志(いせんごくし)とは、仲路さとる原作の歴史シミュレーション小説である。1994年から執筆が開始され、第1回歴史群像大賞を受賞し、13巻に単行本化された。同作品は4巻までの大坂城落城までが漫画化され、また外伝として新真田十勇士(しんさなだじゅうゆうし)があり、こちらも全5巻が単行本化された。

あらすじ[編集]

天正10年(1582年6月2日、時の天下人である織田信長は滞在していた京都本能寺において家臣明智光秀の襲撃を受ける。小姓森蘭丸が身代わりになり、姉山竜国や信長を助けるために妙覚寺から駆けつけて来た嫡子の織田信忠の奮戦もあり、信長は重傷を負いながらも何とか生き延びた。光秀は本能寺から見つかった遺体を信長と判断して天下に号令するが味方になる者は少なく、毛利氏攻めから大返ししてきた羽柴秀吉山崎の戦いで戦って大敗し、光秀は落ち延びる途上で落ち武者狩りに遭って哀れな最期を遂げる。光秀を破ったことで織田氏家中の第一人者となった秀吉は、清洲会議で主導権を握り、筆頭家老の柴田勝家を押さえて信忠の遺児でわずか3歳の三法師を織田家の世継にする。本能寺から生き延びた信長は姉山竜国の介抱で目覚めていたが、秀吉の振る舞いを見てその野心を見抜き、柴田勝家に自分の健在を報せて復活を全国に宣言。諸大名は信長復活に驚愕し、秀吉は恐れおののき寝込むほどだった。しかし参謀・黒田孝高の後押しを得て最早後戻りはできぬと秀吉は公然と信長に対し謀叛を起こす。そして両者は合戦になるが、近江高島において秀吉は信長に敗れ、この結果京都より西が秀吉領、東が信長領に確定する。

信長と秀吉。両者の戦いは徳川家康真田昌幸上杉景勝島津義久ら諸大名の思惑を巻き込んで展開され、秀吉やや有利にあったが最終的に勝利を得たのは九州征伐に主力を向けて手薄になった大坂城を攻めた織田信長であった。徳川家康の謀略により追い詰められた秀吉は逃げ場を失い、自害する。信長は勢いに乗って上杉景勝や真田昌幸らを服属させ、さらに関東の北条氏直を攻める。この北条攻めも信長有利に進んでいたが、小田原城包囲中に同盟軍として同陣していた徳川家康の裏切りにあって織田軍は壊滅し、信長は柴田勝家、蒲生氏郷らの活躍で何とか逃げ切ろうとしたが果たせず、壮絶な最期を遂げる。さらに徳川家康は信長の次男・織田信雄を擁して信長に後継者として指名されていた三男・織田信孝を返り討ちにして美濃、尾張を奪った。

信長や信孝、勝家らを一度に失った織田家は、真田幸村の助けを得て三法師こと織田秀信を擁し、宿敵の豊臣秀頼と和睦、同盟を結んで家康に対抗する。信長を討ち勢いに乗る家康は謀略をもって北条氏直を降し、さらに北条一族の残党や真田昌幸を苦戦の末に討って関東を平定する。日本は徳川家康と豊臣秀頼•織田秀信連合による東西対決となり、2度目の関ヶ原合戦において織田秀信が討死した織田家は徳川家康に降り、家康はそれをもって征夷大将軍に任命されて江戸に幕府を開く。追い詰められた豊臣は参謀・黒田孝高を立てて家康に対抗するが、孝高が病死すると再びの東西対決が摂津伊丹で行なわれ、真田幸村や加藤清正らを失って豊臣軍は壊滅した。しかし、この合戦の最中に家康の世継であった徳川秀忠も暗殺され、合戦終了後には家康も病死した。幕府は副将軍・伊達政宗が推す秀忠の子・徳川家光を第3代将軍にしてこの危機を乗り切り、姫路を攻めて豊臣を屈服させ、遂に天下を統一する。

しかし幕府内において副将軍・伊達政宗の権力は日に日に高まり、娘を家光の御台所に、さらに息子の伊達宗勝を家光の養子に送り込んだ。そして家光が21歳の若さで謎の急死を遂げると、政宗は家光の遺言を理由に宗勝を第4代将軍に擁立。さらに反対派を打倒し、宗勝を後に徳川から伊達に複姓させて江戸幕府を乗っ取ってしまう。最後は政宗が寛永13年(1636年)に安らかに天寿を全うするところで物語は終焉を迎える。

外伝のあらすじ[編集]

外伝は豊臣家が徳川幕府に降った頃から、真田幸村の子・真田大助を主人公にして展開してゆく。幕府は宇喜多秀家、織田信雄ら危険人物を次々と滅ぼし、支配体制を強固にしてゆく。しかし幕府内部では伊達政宗と本多正純の暗闘があった。そんな中で真田大助は様々な人物とは出会い自らの家臣にしながら豊臣家再興を目指すが、高野山に流されていた秀頼が毒殺されて再興は果たせなかった。伊達政宗は自らの野望を実現するため、宗勝を第4代将軍に擁立。これに本多正純は反対するが幕府から失脚させられ、真田大助らと共に挙兵する。しかし挙兵の最中に福島正則が病死。本多正純の本拠である宇都宮にも伊達政宗を主力にした幕府軍が現れ、宇都宮城の運命が定まったところで物語は終焉を迎える。

おかしな点[編集]

架空戦記なので史実と異なるのは当たり前であるが、以下の点が設定で無理があり過ぎる。

  • 本能寺の変後、四国の制圧を目指して長宗我部元親が十河存保を討ち取った時点で、四国の諸将が元親に降って四国統一したとする点。史実では十河氏が讃岐から逃走した後も、伊予国の諸将は抵抗を続けており、また毛利氏も長宗我部氏と伊予をめぐり争っていた。
  • 元和4年(1618年)に徳川忠長が家光に自害させられている点。当時は生母の崇源院が存命しているはずで、不可能である。また、信長に庇護されていたはずの崇源院がなぜ秀忠に嫁いでいるのか摩訶不思議である。
  • 織田秀信が豊臣秀頼や徳川家康より弱小にされている点。信長やその家臣たちが討たれて弱体化したのは確かだが、畿内の大半と北陸の大半を支配下に置いており、動員力は決して引けを取らないはずである。

主な登場人物[編集]

織田家[編集]

織田信長
本作の前半の主人公。あまりに厳しすぎるやり方のために謀反が絶えない。本能寺から生還して復活を遂げると一度は挫折した天下取りに再度王手をかけたが、小田原攻めの最中に徳川家康の謀反に遭い、壮烈な最期を遂げた。
柴田勝家
織田家の筆頭家老で越前国主。信長への忠義は絶対で、本能寺の復活から信長を常に支える。武勇に優れ、鬼柴田の異名を持つ。小田原攻めで信長に従軍し、徳川家康の謀反の際には信長を逃がすべく獅子奮迅の活躍を見せるが、遂に力尽きて矢で射殺された。
蒲生氏郷
信長の側近。智勇兼備の名将で信長からの信任も厚い。堀秀政の死後は信長随一の側近となる。小田原攻めでも活躍するが徳川家康の裏切りで蒲生軍は壊滅。自らは信長に最後まで従い、信長に殉じた。
堀秀政
信長の側近にして三法師こと織田秀信の傅役。森長可に三法師を奪われた際には信長の意思に反してまで救出した。しかしその際に吐血して病に倒れ、病死する。
織田信孝
信長の3男。長兄の信忠が本能寺で戦死したため、信長から後継者に指名される。決して無能ではないが父に似て傲慢なところがある。小田原攻めでの徳川家康の謀反を知ると大坂から大軍を率いて三河に攻め入るが駆け付けた家康に大敗し、落ち延びる途上で加賀井重望に殺された。
佐久間盛政
柴田勝家の甥。武勇には優れるが短気で思慮に乏しい。信長や信孝の死後は秀信に仕え、叔父の柴田勝家の跡を継いで越前国主となる。第2次関ヶ原合戦で織田信雄の配下だった後藤基次に敗れて討たれた。
柴田勝政
佐久間盛政の実弟で勝家の養子。兄と同じく武勇には優れるが思慮には乏しい。織田信孝に従い三河に攻め入るが、駆け付けた家康の反撃に遭い討たれた。
姉山竜国
架空の人物。信長の側近で護衛。本能寺では信長の危難を救った。小田原攻めでは信長の身代わりになるが徳川軍に追い詰められて崖に転落する。この際に片目片腕を失ったが生き延びて秀信に従う。秀信没後は豊臣に仕えるが豊臣も滅びて帰農。後に真田大助の家臣になり、宇都宮で最期を遂げた。この物語において初巻から外伝の最後まで登場する人物である。
織田秀信
幼名は三法師。信長の嫡孫で信忠の嫡男。信長、信孝の死により真田幸村や奥田直政の助けを得て跡を継ぐ。なかなかの人物であったが、第2次関ヶ原合戦で味方の裏切りにより戦死し、織田家は滅亡した。
奥田直政
堀秀政の従兄弟。秀信の傅役で補佐を務める。第2次関ヶ原合戦で秀信を逃がすために討死した。
池田恒興
信長の重臣で乳兄弟。法号は勝入斎。一時信長から離反するが本意ではなく、しかし池田の存続のため長男の元助を織田に、次男の輝政を豊臣に仕えさせた。小田原攻めで徳川家康の裏切りにより最後まで奮戦し、元助と共に討死した。
岡本良勝
信孝の側近だが、信孝が討たれると信雄に大坂城を開け渡そうとしたり、自らの栄達や保身のために他人を陥れる奸臣。最後は信雄の側近となり、最後の東西決戦の前に死去した。
前田玄以
最初は信忠の家臣で、後に信長の側近となる。しかし信長を裏切りその死に一役買った。その後は信雄の側近となり懸命に補佐するが、信雄が天下を取るには真の敵は家康と考えてその暗殺を図るが失敗し、壮烈な自害を遂げた。
織田信雄
信長の次男。通称は三介。信孝に家督を奪われたのを恨んで家康と結んで信長、信孝を死に追いやる。しかし無能で次第に勢力を失い、家康の臣下となる。家康の死後、徳川家光の時代に開始された有力大名取り潰しの標的にされ、果敢に武力で抵抗するが伊達政宗を中心とした幕府軍に清洲城を落とされ、自刃する。
姉小路自綱
飛騨の武将。江馬輝盛との戦いで討死。
前田利家
信長の古くからの家臣。信長の死後、秀信に仕える。第一次関ヶ原の戦いを前に病死。
佐々成政
越中国主。信長の家臣。織田信雄と徳川家康の謀反の際は、信長への忠義に悩みながらも消極的な立場から協力。その後は前田利家と激しく争い、徳川家康に転仕した。死後には御家騒動が起きた。
金森長近
飛騨国主。信雄と家康の謀反には協力しなかったが、信長の死後は信雄に従う。しかし信雄の不行跡から、成政と共に家康に転仕した。

豊臣(羽柴)家[編集]

豊臣秀吉
史実通りに明智光秀を討ち、清洲会議で主導権を握るが、本能寺から生還した信長に天下人への野心を見抜かれ生き延びるために謀反して独立する。一時は信長に勝る勢力であったが、主力軍を九州に派遣している隙を信長につかれて大坂に籠城。家康の謀略により大坂は落城し秀吉は逃げ切れず自害した。
黒田孝高
通称は官兵衛。号は如水。豊臣の軍師として信長、家康と互角に渡り合う。秀長の死去により一時期失脚するが後に復帰。3度目の東西決戦前では自らの天下取りの野望に燃えるが、過労により他界した。
豊臣秀長
秀吉の実弟。通称は小一郎。九州平定の総大将となる。秀吉没後は秀頼を支えて豊臣を懸命に盛り立てたが、第1次関ヶ原合戦直後に病死した。
豊臣秀頼
秀吉の嫡男。秀吉の死によりわずか2歳で跡を継ぐ。決して暗愚ではないが母親の淀君に過保護に押さえつけられたがために実力を発揮できなかった。豊臣滅亡後は高野山に送られ、幕府により毒殺された。
淀君
信長の妹•お市と浅井長政の娘。信長や勝家の命令に逆らって自ら秀吉の下に赴き側室となり、秀頼を産んだ。我儘で傲慢なため周囲を辟易させる。豊臣滅亡後は秀頼と共に高野山に送られ、後に毒殺された。
加藤清正
羽柴七本槍の一人で肥後熊本城主。知勇兼備の良将でその武略で豊臣を支える。第3次東西決戦でも奮戦したが、衆寡敵せず戦死した。
福島正則
加藤清正の朋友で豊臣を支える猛将。豊臣滅亡の際は秀頼の助命を嘆願する。後に本多正純と共に幕府に反旗を翻して広島城で奮戦するが、その最中に病死した。
石田三成
豊臣家の奉行。行政に秀でるが戦は苦手。その融通のきかない性格のため加藤清正らの反感を招く。第2次関ヶ原合戦で総大将となるが味方から反感を抱かれていたために大敗。家康に捕らえられて処刑された。

徳川家[編集]

徳川家康
東海を支配する大名にして信長の同盟者。物語の後半の主人公。織田信長や北条氏直を騙し討ちにしたり、真田昌幸を討つために領民を追い立てたり敵兵を皆殺しにしたりと史実以上に卑劣な人物として描かれている。天下取りをほぼ確実にした直後に病死した。
本多正信
家康の側近として数々の謀略を献策する。
本多正純
正信の嫡子。弟に本多忠純がいる。正信に劣らない知恵者だがやり方が冷徹に過ぎて敵も多い。家康や正信の死後は伊達政宗の台頭を抑えようと奮闘する。政宗により失脚させられると宇都宮城で挙兵するも幕府軍に大敗して討死した。
徳川秀忠
江戸幕府の第2代将軍。家康の後継者。伊丹の合戦で伊達政宗が放った刺客に暗殺された。
徳川家光
江戸幕府の第3代将軍。秀忠の死により伊達政宗らに擁立されて跡を継ぐ。伊達政宗を重用し、政宗の実子である宗勝を養子に迎えるが、その翌年に謎の死を遂げた。
本多忠勝
徳川四天王の一人で数々の武勲を立てるが、家康の謀略に疑問を抱く。
榊原康政
徳川四天王の一人で家康の朋友。
服部半蔵
忍者として描かれ、徳川家の諜報を担当する。伊丹の合戦で家康の身代わりを務めるが、真田忍群の猿助と刺し違えた。
石川数正
家康の人質時代からの家臣。本多正信の謀略により家康から冷遇され、不信感を募らせる。それにより田上の合戦で羽柴軍に寝返るが、数正を敵と勘違いした酒井忠次に討ち取られた。
鳥居元忠
家康の人質時代からの家臣。第一次関ヶ原の戦いで家康を逃がす為に奮戦するが、戦死した。
井伊直政
徳川四天王の一人。第1次関ヶ原合戦で負傷し、それが原因で死去した。
酒井忠次
徳川四天王の一人。家康と対立したふりをして秀吉を騙す謀略の役割を果たした。
結城秀康
家康の次男。秀忠の兄であるが結城晴朝の養子に出され、家康から冷遇される。上杉景勝との戦いで戦死した。
土井利勝
幕府の老中。伊達政宗と結託して本多正純の失脚を図る。
松平信綱
知恵伊豆の異名をとる切れ者。本多正純討伐で活躍する。
藤堂高虎
豊臣家旧臣。黒田孝高の隠居後は豊臣家を見限り、第二次関ヶ原の戦いで東軍に寝返った。その後も徳川家に仕え、宇都宮合戦で伊達政宗に協力した。

真田家[編集]

真田昌幸
信濃の小大名であるが智謀無双の人物で徳川、北条を手玉にとる。一時信長に降るが、信長没後は再度家康と対立し、家康により討たれた。
真田信之
昌幸の長男。初めの名は信幸。本多忠勝との戦いで負傷して捕虜となり、以後は徳川家康の家臣•忠勝の娘婿となった。
真田幸村
昌幸の次男で信之の弟。武略に優れるが、徳川家との戦いで失態を演じて昌幸から勘当される。信長没後に織田家の家臣になり、関ヶ原で活躍。織田家滅亡後は豊臣家の家臣になり、伊丹の合戦で敗れて自害した。
真田大助
幸村の長男。母は大谷吉継の娘。外伝の主人公。破天荒な性格であったが次第に武将として成長してゆく。宇都宮で本多正純と共に討死した。
唐沢孫兵衛
幸村の忠実な従者として描かれる架空の人物。伊丹の合戦で戦死した。
猿助
真田素破。昌幸、幸村に仕える。伊丹の戦いで服部半蔵と刺し違えた。

北条家[編集]

北条氏政
関東に覇を唱える北条家の第4代当主。天正8年(1580年)に嫡子の氏直に家督を譲って隠居しているが実権は掌握している。氏直に厳しく当たるが実は我が子としてこよなく愛している。氏直が家康の裏切りにより風前の灯となる中で小田原城において脳を患って急死した。
北条氏直
北条家の第5代当主。氏政の子で家康の娘婿。信長亡き後の覇権争いに加わるが、家康の裏切りにあって大敗して降伏し、北条家は滅亡した。
北条氏照
氏政の弟で氏直の叔父。北条家を支える名将。家康の裏切りを読み取って何とか補足から逃れようとしたが、井伊直政の待ち伏せにあって討ち取られた。
北条氏邦
氏政の弟で氏直の叔父。氏照と共に北条家を支える名将。真田昌幸との戦いで罠にはまって討ち取られた。
北条直定
北条氏政の子で氏直の弟。氏直降伏後、北条一族や真田昌幸と協力して家康に抵抗する。しかし鉢形城に追い詰められて徹底抗戦の末に討ち取られた。
大道寺政繁
北条家の重臣として北条家を支える勇将。家康との戦いで病気を押して戦うが遂に倒れた。
松田憲秀
北条家の家老。主家を守るために家康に氏直を討たせようと画策したが、裏目に出て小田原城を開城せざるを得なくなる。
笠原政堯
松田憲秀の長男。父親の画策に協力する。
松田秀治
松田憲秀の次男。父と兄の画策に気づき、北条氏政に報告する。忠義一徹の頑固者。

大友家[編集]

大友宗麟
豊後国戦国大名大友氏の前当主。一時は北九州を支配する大大名であったが、耳川の戦い島津義久に大敗して零落の一途を辿り、豊臣秀吉に援軍を要請する。
大友義統
大友宗麟の長男。大友家当主。傲慢で暗愚なため、島津義久に押される家勢を保てず、豊臣に臣従する。第2次関ヶ原合戦で豊臣が敗れると豊臣から独立して九州全土を支配下に置こうとしたが、黒田如水の策略にはまって謀殺された。
立花道雪
大友家を支える重臣。立花山城主で立花宗茂の養父。自らは半身不随だが名将・猛将の名をほしいままにする。島津氏との戦いで奮戦してその勇名を轟かせ、別府の戦いで加藤清正・鍋島直茂らと共に島津軍相手に奮闘し、最後はこの両者を逃がして戦死覚悟の壮烈な討ち死にを遂げた。
立花宗茂
道雪の養嗣子。実父は高橋紹雲。養父・実父譲りの優れた名将で、別府の戦い以後は豊臣氏に取り立てられて大名となる。徳川氏により改易され、外伝では福島正則の反乱に参加している。
高橋紹雲
立花宗茂の実父。岩屋城で島津の大軍相手に大奮戦し、島津に多くの死傷者を出させた末に壮烈な戦死を遂げた。

島津家[編集]

島津義久
島津家の第16代当主。島津4兄弟の長兄。九州平定まであと一歩のところまでこぎつけるも、黒田孝高に敗れて豊臣家に臣従し、自身は義弘に家督を譲って隠居し、龍伯と号して出家する。
島津義弘
義久の弟。歳久、家久の兄。知勇兼備の名将で医術にも優れている。別府の合戦で豊臣軍に敗れて後藤又兵衛に生け捕られる。解放後、豊臣家に降伏を決断した義久から島津氏第17代当主の座を譲られる。のち、第1次関ヶ原合戦の際に豊臣に背いた弟の歳久を討たざるを得なくなり、その後に息子の忠恒に家督を譲って隠居した。
島津歳久
義久、義弘の弟。家久の兄。『智謀の歳久』と言われるが、実際には武勇に優れた血気盛んな人物。豊臣、もっと言うと別府の合戦で自分を追い詰めた加藤清正に激しい敵愾心を抱き、第1次関ヶ原合戦で家康の誘いに乗り挙兵し、加藤清正の熊本城を攻める。しかし兄の義弘に攻められて、最後は新納忠元に射殺された。
島津家久
義久、義弘、歳久の弟。『兵法の家久』と言われる兵術の天才で、龍造寺隆信や大友宗麟に大勝。別府の合戦でもライバルに目していた黒田孝高に兵術では勝ったが合戦自体には敗れた。そのため、黒田孝高に激しい敵愾心を燃やし、第1次関ヶ原合戦前に自らの家督を豊久に譲り家康に仕官。関ヶ原合戦では家康に様々な献策をして家康から気に入られた。しかし戦後、家康の離間策で黒田孝高が失脚すると家康の下にいる意味が無くなり薩摩に戻ろうとしたが、内情を知り尽くしている家久が戻り敵対することを恐れた本多正純により暗殺された。

伊達家[編集]

伊達政宗
奥州の戦国大名で伊達氏の当主。信長が家康に討たれるといち早く家康に臣従し、その覇業に貢献して家康から副将軍に任命される。秀忠、家康が相次いで亡くなると家光の将軍職就任に貢献して厚い信任を得る。家光に自らの娘を嫁がせ、並びに息子の宗勝を養子に出すなどして揺るぎのない地位を確立。家光が若死にすると第4代将軍に宗勝を就任させて自らはその後見人となり、政敵の本多正純を失脚させて事実上の天下人となった。
片倉景綱
伊達氏の重臣で政宗の参謀。通称は小十郎。政宗の覇業に貢献した功臣でその信任を厚く受ける。政宗が織田信雄討伐に赴いている際に病死した。
伊達成実
伊達政宗の従弟。片倉景綱と共に政宗の覇業を支える。しかし政宗のやり方に次第に疑問を持ち出し、政宗から支倉常長の殺害命令を受けるとそれを苦しみながらも果たすが、これを機に武士を捨てて隠居した。
片倉重綱
伊達政宗の重臣で景綱の嫡子。父の死後、政宗の参謀役となる。

佐竹家[編集]

佐竹義重
常陸の戦国大名。伊達政宗と激しく対立する。北条氏直との戦いでは自らの利益から伊達政宗や徳川家康に協力する。
佐竹義宣
義重の長男。義重から家督を譲られ当主になる。伊達政宗を嫌うが時勢には逆らえず、徳川家康に従う。しかし第2次関ヶ原合戦で中立を保ったことを家康に咎められて領地を削減された。

毛利家[編集]

毛利輝元
安芸の戦国大名。毛利氏の当主。豊臣氏の覇業に貢献するが、優柔不断で器量に欠けており、伊丹の戦いで対応を誤り、江戸幕府から大減封された。
小早川隆景
輝元の叔父。輝元を支える。輝元が黒田孝高から豊臣一族の秀秋を養子に勧められた際、これに反対して自らの養子に迎えて小早川秀秋とした。第1次関ヶ原合戦の前に病死。
吉川広家
吉川元春の3男。父と長兄の元長が相次いで病死したため、跡を継ぐ。第3次関ヶ原合戦で豊臣を裏切り徳川に味方して毛利の存続と所領安堵を図るが、所領安堵はかなえられず大減封となった。
小早川秀包
隆景の弟で養子。秀秋の死後、小早川氏の家督を継ぐ。第3次関ヶ原合戦では毛利一族で唯一豊臣方に属して奮戦するが、伊達政宗軍に敗れて戦死した。

宇喜多家[編集]

宇喜多秀家
備前の戦国大名。豊臣一族として豊臣に終始協力する。豊臣秀頼が江戸幕府に屈服した後もこれを認めず反抗し、幕府の大軍を岡山城で迎え撃つも家臣の岡家利らの裏切りもあり敗れて戦死した。
明石全登
宇喜多秀家の家臣で片腕的存在。秀家死後は幕府を旧主の仇として恨み、本多正純の宇都宮合戦で壮烈な戦死を遂げた。

長宗我部家[編集]

長宗我部元親
四国の戦国大名。豊臣に属するが、嫡子の信親が戦死すると狂気となり、信親を戦死に追い込んだ豊臣を逆恨みして姫路城を襲うなど支離滅裂な行動をとる。
長宗我部信親
元親の嫡子。知勇兼備の名将で跡継ぎとして期待されたが、戸次川の戦いで戦死。
長宗我部盛親
元親の4男。元親から家督を譲られ、豊臣の四国征伐で屈服する。第3次関ヶ原合戦後は浪人となり、本多正純の宇都宮合戦で戦死した。
香宗我部親泰
元親の弟。元親、盛親を支えるが、家督騒動や豊臣の四国征伐で苦慮する。
香川親和
元親の次男。心優しく家臣から人望があったが、家督を盛親に譲りたい元親の意思により、自ら衰弱死を遂げた。
津野親忠
元親の3男。武勇に優れるが、家督争いに巻き込まれて殺害された。
吉良親実
元親の甥。家督争いで香川親和や津野親忠の継承を主張し、最後は久武親直の讒言により殺された。
久武親直
久武親信の弟。兄から腹黒いから用いないで欲しいと元親に嘆願されるほどの悪辣な人物。元親が狂気になると巧みに付け入り第1の側近に昇格し、様々な讒言などで政敵を追い落とす。長宗我部が豊臣に降伏後、和睦の条件として切腹を命じられた。

上杉家[編集]

上杉景勝
越後の戦国大名。真田昌幸を臣下に迎えて織田信長、徳川家康に対抗するが、敗れて織田に臣従。信長没後は独立し、再度徳川家康と戦うが、真田昌幸を失うなど次第に不利となり、第2次関ヶ原合戦で豊臣が敗れると徳川家康に降伏した。
直江兼続
上杉景勝の参謀。織田信長との交渉役を務めた。
須田満親
上杉景勝の重臣。真田昌幸と上杉景勝の橋渡しを務める。第2次関ヶ原合戦で沼田城代を務めた。
江馬輝盛
飛騨に侵攻し、真田幸村の助けを得て姉小路頼綱を討ち取る。しかしすぐに織田信孝率いる織田軍に攻め込まれ、抵抗するも味方の裏切りにより自刃した。

最上家[編集]

最上義光
出羽国の戦国大名。伊達政宗の義理の伯父だが、政宗とは敵対している。
最上義俊
最上義光の後継者で、第3次東西合戦から登場している(義光の後継者は義俊の父の最上家親のはずだが、存在自体から無視されている)。江戸幕府により改易された後、本多正純が籠城する宇都宮城に入城して戦死した。