高橋史朗
高橋 史朗(たかはし しろう、1950年 - )は、教育学者。モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授、麗澤大学客員教授。元・明星大学教育学部教授。一般財団法人親学推進協会(2006年設立、2022年解散)理事長。「親学」の提唱者。
経歴[編集]
兵庫県龍野市(現・たつの市)生まれ[1]。先祖は脇坂藩の筆頭家老[2]。1973年早稲田大学第一文学部人文専攻卒業。1978年早稲田大学人文学研究科教育学修士課程修了。1977年明星高等学校女子部非常勤講師(1980年まで)。1980年明星大学人文学部心理・教育学科(教育学専修)専任講師(1984年まで)。1981年スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員(1982年まで)。1984年明星大学人文学部心理・教育学科(教育学専修)助教授、1990年教授。1995年玉川大学非常勤講師。2009年明星大学大学院人文学研究科教育学専攻主任。2010年明星大学教育学部教育学科教授、2016年特別教授[3]。麗澤大学道徳科学教育センター客員教授[4]、麗澤大学大学院特任教授を経て、2021年客員教授[5]、2022年特別教授[6]。モラロジー研究所(2021年にモラロジー道徳教育財団道徳科学研究所に改称)教授も兼任[7]。
人物[編集]
日青協[編集]
「生長の家」の学生運動の出身者。生長の家高校生連盟(生高連)、生長の家学生会全国総連合(生学連)の活動家[8]。大学4年の頃には全国の学生運動のリーダーになっていた[9]。鈴木邦男は高橋について「早稲田の後輩だ。それだけじゃない。「生長の家学生道場」の後輩だ。同じ寮に住み,修業した」「高橋史朗氏も一緒に「君が代」を歌い、「日の丸」を掲げた」と述べている[10]。林雅行は『天皇を愛する子どもたち――日の丸教育の現場で』(青木書店、1987年)で高橋の経歴や主張を紹介し、「いうなれば、生長の家のダミーなのだ」としている[11]。なお宗教法人生長の家は1983年に生長の家政治連合(生政連)を活動停止にして政治運動から撤退し、その後、従来の愛国路線から路線転換している。
椛島有三、衛藤晟一、伊藤哲夫、百地章、松村俊明、宮崎正治らとともに1970年11月に結成された日本青年協議会(日青協)の中心メンバーとなった[12]。1974年11月の日青協の下部組織「日本教育研究所」設立の立役者となり[13]、同研究所の事務局長を務めた[14]。『右翼・民族派事典』(1976年)によると、生学連委員長を務めていた[15]。当時の姓は土橋だが、生学連の女子学生対策局長だった高橋こずえと後に結婚し、入婿して高橋に改姓した[16][17]。1978年12月に日本教育研究所副所長となった[13]。
1980年3月にメリーランド州立大学に留学、一時帰国した後、1981年2月にスタンフォード大学客員講師となり、約2年間滞米。敗戦直後の占領軍の政策、特に大日本帝国憲法から日本国憲法、教育勅語から教育基本法に移行したプロセスを研究した[13]。1983年に設置された明星大学占領教育史研究センター(初代センター長・児玉三夫。1986年に戦後教育史研究センターと改称)の主任を経て[18]、1991年7月に所長に就任した[19]。菅野完の『日本会議の研究』によると、CiNiiで検索しても教育学関係の論文はほとんどヒットせず、ヒットする最古の論文は1984年6月の「神道指令の成立過程に関する一考察」(『神道宗教』第115号)である。高橋が留学した目的はGHQに押収された谷口雅春の著作を見つけ出すことで、『御守護(神示集)』(1981年に日本教文社から刊行)という本をアメリカのアーカイブから見つけ出した宗教的実績で日青協の幹部になったという[17]。ただし能川元一は菅野の『日本会議の研究』について「アメリカ留学の動機もかなり憶測で書かれています」「高橋史朗は一九八〇年代の半ばまでに占領下の教育改革に関する論文をいくつも書いていますし、明星大学の戦後教育史研究センター(当初は占領教育史研究センター)も彼がアメリカで収集した資料などを基礎として設立されています」と批判している[20]。
1984年12月10日に中曽根康弘首相によって臨時教育審議会の専門委員に任命された。20名の専門委員は山本七平、俵孝太郎、公文俊平、渡部昇一、屋山太郎、黒羽亮一といった顔ぶれで、学会ではほとんど名前の知られていない34歳の若手教育学者が抜擢されるのは異例なことだった[13]。また1980年代から1990年代には民社党の機関誌『KAKUSHIN』や民主社会主義研究会議(民社研)の機関誌『改革者』にたびたび寄稿し、その後も政策研究フォーラムの理事を務めたり、富士社会教育センターから共著を刊行したりしている。臨教審の第一部会で懇意にしていた金杉秀信(元造船重機労連中央執行委員長、同盟副会長)とUIゼンセン同盟幹部が、日教組に代わる新たな教員組合を結成したいと相談に来たのがきっかけで、2006年にUIゼンセン同盟内に事務局を置いて「感性・脳科学教育研究会」を発足させている[5]。
日本青年協議会編『青年の力で、築こう新生日本。』(日本青年協議会、2001年)の冒頭ページには、椛島有三、衛藤晟一、百地章、森藤左ェ門とともに高橋(肩書きは日本教育研究所相談役、明星大学教授)の写真が掲載されており、高橋が日青協の幹部であることが覗える[21]。2004年12月に上田清司知事によって埼玉県教育委員会委員に任命された(任期:2004年12月27日 - 2008年12月26日)。2007年10月には教育委員長に任命され、2008年10月に再任された。高橋が「「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)」「新しい歴史教科書をつくる会」「自由主義史観研究会」「日本青年協議会」「日本会議」などで政治運動を行っていることから、この人事は政治的中立性などの面から多くの批判を招いた。そのため、高橋は教育委員に任命された際に日青協からの脱退を表明したが、菅野完は脱退実績が一切観察できないため、日青協の幹部であると言える状態にあると評している[21]。
保守系運動[編集]
- 日本会議政策委員。かつて「生長の家」で学生運動をしていた伊藤哲夫、百地章も日本会議政策委員である[22]。2022年時点では政策委員を退任している[23]。
- 1996年の「新しい歴史教科書をつくる会」呼びかけ人の1人。呼びかけ人は西尾幹二、藤岡信勝、小林よしのり、坂本多加雄、高橋史朗、深田祐介、山本夏彦、阿川佐和子、林真理子の9人。1999年7月から2004年11月まで副会長を務めた。『中学社会 新訂版 新しい公民教科書』(扶桑社)の監修者であったが、2004年12月6日付で扶桑社より削除申請があり、著作編集関係者名簿から削除された[24]。「つくる会」副会長辞任や監修者名の削除は埼玉県教育委員に起用されたことと関係があるとみられる。その後「つくる会」を脱退したメンバーらが2006年に結成した一般社団法人日本教育再生機構の理事を務めている[25]。
- 2003年12月に東京都荒川区が男女共同参画社会懇談会を設置し、林道義が会長、高橋史朗が副会長、八木秀次が委員となった。2004年に懇談会は報告書を提出し、これに基づいて荒川区は「男女共同参画社会基本条例案」を策定したが、報告書には「家庭」や「胎児」の尊重や男女共同参画社会基本法に反する「乱用の防止と是正」と題する項目が明記されていたことから、反対運動が展開され、条例案は2004年7月の区議会で撤回された[26][27]。東京都男女平等参画審議会委員(2006年)、仙台市男女共同参画推進審議会委員(2007年)、内閣府男女共同参画会議議員(2013年)なども務めた。
- 統一協会系メディアに出演したり、関連団体の講師を務めたりするなど、統一協会と協力関係にある[28][29][30][31]。勝共連合系団体が作成したビデオ『性教育過激派のねらい』に出演している[32]。高橋自身は2003年に「私は、統一教会の純潔教育を支持したことは一度もなく(不覚にも利用されたことはあるが)、それとは明確に異なる「第三の性教育」という独自の性教育論を一貫して主張してきたにもかかわらず、私の本質的な急進的性教育批判の論点を統一教会問題に巧みにすりかえ、かつてのアカ狩りの裏返しのような卑劣な個人攻撃を、今回の性教協と同様、私自身に対してではなく、マスコミをターゲットにしてエキセントリックに行ってきた」と述べている[33]。
- 「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)運営委員長(2003年~)[34]。2004年4月設立の日本文化チャンネル桜の設立発起人、番組審議委員[35]。公益財団法人国家基本問題研究所理事[36]。『南京の真実』賛同者[37]。『南京大虐殺』の歴史捏造を正す国民会議呼びかけ人[38]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『「総点検」戦後教育の実像――荒廃と歪みの構図を探る』(PHP研究所、1986年)
- 『教科書検定』(中央公論社[中公新書]、1988年)
- 『天皇と戦後教育』(ヒューマン・ドキュメント社、1989年)
- 『悩める子供たちをどう救うか――いじめ、登校拒否、非行から立ち直った感性教育の現場から』(PHP研究所、1991年)
- 『魂を揺り動かす教育――全国の教育現場を行脚して』(日本教育新聞社出版局、1991年)
- 『教育再生の課題(上・下)』(日本教育新聞社、1993年)
- 『間違いだらけの急進的性教育――エイズ・性をどう教えるか』(黎明書房、1994年)
- 『検証・戦後教育――日本人も知らなかった戦後五十年の原点』(廣池学園出版部、1995年)
- 『感性を活かすホリスティック教育――いじめ・不登校を克服し、子どもの「いのち」を救う』(廣池学園出版部、1996年)
- 『魂を揺り動かす教育』(多賀大社文化振興基金[多賀大社文化振興基金講演集]、1996年)
- 『平和教育のパラダイム転換』(明治図書出版[オピニオン叢書]、1997年)
- 『歴史教育はこれでよいのか』(東洋経済新報社、1997年)
- 『歴史の喪失――日本人は自らの歴史教育を取り戻せるのか』(総合法令出版、1997年)
- 『臨床教育学と感性教育』(玉川大学出版部、1998年)
- 『「学級崩壊」10の克服法。――親と教師はこう立ち向かえ!』(ぶんか社、1999年)
- 『『青少年教育を考える』講演録――明星大学教授高橋史朗先生』(述、沖縄県神社庁、2000年)
- 『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』(モラロジー研究所、発売:廣池学園事業部、2001年)
- 『これで子供は本当に育つのか――過激な性教育とジェンダー・フリーの実態』(MOKU出版[高橋史朗の第三の教育論シリーズ]、2007年)
- 『脳科学から見た日本の伝統的子育て――発達障害は予防、改善できる』(モラロジー研究所[生涯学習ブックレット]、発売:廣池学園事業部、2010年)
- 『主体変容の教育改革!――対談集』(MOKU出版[MOKU選書]、2010年)
- 『家庭教育の再生――今なぜ「親学」「親守詩」か。』(明成社、2012年)
- 『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと――こうして日本人は国を愛せなくなった』(致知出版社、2014年)
- 『「日本を解体する」戦争プロパガンダの現在――WGIPの源流を探る』(宝島社、2016年)
- 『WGIPと「歴史戦」――「日本人の道徳」を取り戻す』(モラロジー研究所、発売:廣池学園事業部、2019年)
共著[編集]
- 『日本教育会叢書 第13集』(中村勝範、稲村博共著、日本教育会[日本教育会叢書]、1986年)
- 『占領下の教育改革と検閲――まぼろしの歴史教科書』(ハリー・レイ共著、日本教育新聞社出版局、1987年)
- 『欧米から見た日本の教育――教育の国際化とは』(ハリー・レイ共著、協同出版[教職課程新書]、1989年)
- 『日本教育会叢書 第16集』(田久保忠衛、西尾幹二共著、日本教育会[日本教育会叢書]、1989年)
- 『歴史教科書との15年戦争――「侵略/進出」から「慰安婦」問題まで』(西尾幹二、小林よしのり、藤岡信勝共著、PHP研究所、1997年)
- 『親が変われば子は変わる!――感性・心の教育フォーラム』(濤川栄太共著、扶桑社、1998年)
- 『新しい歴史像の創造――過去の真実と未来への希望を結ぶ』(富士社会教育センター教育総合研究所「歴史問題委員会」編、佐瀬昌盛、井尻千男、大原康男共著、富士社会教育センター[パラダイムシリーズ]、1998年、第2版1999年)
- 『新しい日本の教育像』(木村治美、石川光男、草野忠義共著、富士社会教育センター[パラダイムシリーズ]、2001年)
- 『学校教育を変えよう』(石川水穂、若月秀夫共著、自由国民社[虎ノ門DOJOブックス]、2004年)
- 『卒業式・入学式-学校現場での国旗・国歌の指導は当然――国際的礼儀学ぶ権利踏み躙る「東京地裁判決」』(石井昌浩、百地章、鈴木由充共著、明成社、2007年)
- 『親が育てば子供は育つ――脳科学が後押しする親学のすすめ』(森昭雄、桑原清四郎、有田秀穂、三池輝久共著、MOKU出版[高橋史朗の第三の教育論シリーズ]、2007年)
- 『親学対談――ニッポンの親が危ない!』(櫻井よしこ、岡野俊昭、山下泰裕、山谷えり子、長谷川三千子、田下昌明、西舘好子、上田清司共著、MOKU出版[高橋史朗の第三の教育論シリーズ]、2008年)
- 『家庭で教えること学校で学ぶこと』(山極隆、宮田正義、竹政幸雄共著、モラロジー研究所、発売:廣池学園事業部、2008年)
- 『君たちが、日本のためにできること――大学生に伝えたい祖国との絆』(岡野弘彦、金美齢、畠山圭一、松浦光修、竹田恒泰共著、明成社、2011年)
- 『「慰安婦」謀略戦に立ち向かえ!――日本の子供たちを誰が守るのか?』(マイケル・ヨン、杉田水脈、西岡力、徳永信一、山岡鉄秀共著、明成社、2017年)
- 『新・東京裁判論――GHQ戦争贖罪計画と戦後日本人の精神』(櫻井よしこ、阿比留瑠比、西修、加瀬英明、篠原敏雄、国士舘大学極東国際軍事裁判研究プロジェクト共著、産経新聞出版、発売:日本工業新聞社、2018年)
編著[編集]
- 『占領下の教育改革』(編集・解説、至文堂[現代のエスプリ]、1984年)
- 『臨教審』(編集・解説、至文堂[現代のエスプリ]、1985年)
- 『臨教審と教育基本法――臨教審のゆくえと日教組の混迷』(杉原誠四郎共同編集、至文堂[現代のエスプリ]、1986年)
- 『社会科と歴史教育』(編集、至文堂[現代のエスプリ]、1988年)
- 『児童の権利条約』(編集、至文堂[現代のエスプリ]、1992年)
- 『性と生命の教育』(田能村祐麒共同編集、至文堂[現代のエスプリ]、1993年)
- 『新学力観を活かす学校教育相談』(編著、学事出版、1996年)
- 改訂『心を育てる学校教育相談』(編著、学事出版、1998年)
- 改題改訂『子どもがいきいきするホリスティックな学校教育相談』(編著、学事出版、2006年)
- 『ホリスティック医学と教育――いのちを包括的に観る』(石川光男共編、至文堂[現代のエスプリ]、1997年)
- 『癒しの教育相談――ホリスティックな臨床教育事例集(全4巻)』(編、明治図書出版、1997年)
- 「1 癒しの教育相談理論――ホリスティックな臨床教育学」(3版2001年)
- 「2 ホリスティックな学校づくり――感性を育む」
- 「3 ホリスティックな教育相談――保護者への援助」
- 「4 学級経営に活かす教育相談」
- 『感性教育』(編、至文堂[現代のエスプリ]、1997年)
- 『講座=感性・心の教育(全5巻)』(編、明治図書、1999年)
- 「第1巻 感性教育による人間変革」
- 「第2巻 感性教育による授業変革」
- 「第3巻 感性教育による学級変革」
- 「第4巻 感性教育による教師変革」
- 「第5巻 感性教育による学校変革」
- 『私たちの美しい日の丸・君が代――現場教師がやさしい解説とエピソードで綴る』(編、明成社、2000年)
- 改訂版『私たちの美しい日の丸・君が代――子供たちに伝える国旗・国歌物語』(石井公一郎監修、明成社、2003年)
- 『新しい教科書誕生!!』(責任編集、新しい歴史教科書をつくる会編、PHP研究所、2000年)
訳書[編集]
- J.C.スマッツ『ホーリズムと進化』(石川光男、片岡洋二共訳、玉川大学出版部、2005年)
監修[編集]
- 教育者教育研究所編『いのち輝く教育――仏教精神に基づく人間教育の実践』(佼成出版社、1995年)
- 全国教育関係神職協議会企画編集『ふっと気づいてふっと感じて』(展転社、2000年)
- 全国教育関係神職協議会企画編集『こころの瞳で』(おうふう、2001年)
- 福岡県立久留米筑水高校編著『「命の大切さ」を実感する心の教育――この体験が生徒を変えた』(学事出版、2004年)
- 親学会編『親学のすすめ――胎児・乳幼児期の心の教育』(モラロジー研究所、発売:廣池学園事業部、2004年)
- 親学会編『続・親学のすすめ――児童・思春期の心の教育』(モラロジー研究所、発売:廣池学園事業部、2006年)
- 明成社編、井出愛美絵『物語で伝える教育勅語――親子で学ぶ12の大切なこと』(明成社、2012年)
出典[編集]
- ↑ 『教育研究』第51巻第11号(通巻1137号)、1996年11月
- ↑ 高橋史朗「戦後教育の原点・WGIPの検証」、国士舘大学極東国際軍事裁判研究プロジェクト『新・東京裁判論――GHQ戦争贖罪計画と戦後日本人の精神』産経新聞出版、発売:日本工業新聞社、2018年
- ↑ 高橋 史朗 明星大学
- ↑ 「日本を解体する」戦争プロパガンダの現在―WGIPの源流を探る 紀伊國屋書店
- ↑ a b 髙橋史朗 27 – 古稀を迎えて心に残っていること 公益財団法人モラロジー道徳教育財団、2021年1月13日
- ↑ 髙橋史朗85 – 親と教師が日本を変える―― 一人からの教育再生 公益財団法人モラロジー道徳教育財団、2022年9月26日
- ↑ 髙橋史朗 1 – いじめ自殺と曽野綾子氏の問題提起 公益財団法人モラロジー道徳教育財団、2019年9月17日
- ↑ 青木理『日本会議の正体』平凡社新書、2016年、44、58頁
- ↑ 宮崎正治「同憂通信 ある道友の留学に思う」『祖国と青年』第46号、1980年5月
- ↑ 主張356 鈴木邦男をぶっとばせ!、2006年6月12日
- ↑ 林雅行『天皇を愛する子どもたち――日の丸教育の現場で』青木書店、1987年、61頁
- ↑ 俵義文『日本会議の全貌――知られざる巨大組織の実態』花伝社、2016年、41頁
- ↑ a b c d 林雅行『天皇を愛する子どもたち――日の丸教育の現場で』青木書店、1987年、48-53頁
- ↑ 社会問題研究会編著『右翼・民族派事典』国書刊行会、1976年、194頁
- ↑ 社会問題研究会編著『右翼・民族派事典』国書刊行会、1976年、224頁
- ↑ 俵義文『日本会議の全貌――知られざる巨大組織の実態』花伝社、2016年、18-19頁
- ↑ a b 菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書、2016年、211-217頁
- ↑ 『学校経営』第30巻第3号、1985年3月
- ↑ 「明星大学教育学研究室の歩み」『明星大学教育学研究紀要』第7号、1992年3月
- ↑ 斉藤正美、能川元一、早川タダノリ「「日本会議」本を斬る!――「日本会議」は氷山の一角。右派系大衆運動は私たちの生活に迫っている」『図書新聞』No.3324、2017年10月28日
- ↑ a b 菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書、2016年、209-211頁
- ↑ 日本会議、改憲の先に目指す社会 『親学』にじむ憲法観 朝日新聞、2016年6月17日
- ↑ “発達障害は親のせい”の親学/佐喜真前宜野湾市長が推進の先頭に/「女性活躍」と対極 しんぶん赤旗、2022年8月21日
- ↑ 教科用図書採択の公正確保と検定申請図書流出問題に関する質問主意書 衆議院
- ↑ 大阪市 維新が「家庭教育条例案」/特異な子育て思想押しつけ しんぶん赤旗、2012年
- ↑ 東京都の男女平等参画審議会委員に高橋史朗氏が! アジア女性資料センター、2006年5月1日
- ↑ 男女共同参画会議議員への高橋史朗氏の起用について(抗議)(PDF)NPO法人mネット・民法改正情報ネットワーク
- ↑ 榊利夫『文鮮明主義の批判――統一協会の過去・現在・矛盾』白石書店、1993年
- ↑ 浅井春夫「「新純潔教育」とはなにか—その狙いと現実」、“人間と性"教育研究協議会代表幹事会編『統一協会 ボディコントロールの恐怖――「新純潔教育」の正体』かもがわ出版、1997年
- ↑ 「つくる会」前副会長を教育委員に 埼玉 しんぶん赤旗、2004年12月24日
- ↑ 浅井春夫『性教育バッシングと統一協会の罠』新日本出版社、2023年
- ↑ 高柳美知子『からだと性器はだれのもの――統一協会系のボディコントロールを衝く』かもがわ出版、1994年
- ↑ 高橋史朗「過激な性教育の背景を暴く」『正論』2003年4月号
- ↑ 上杉聰「日本における「宗教右翼」の台頭と「つくる会」「日本会議」」『戦争責任研究』第39号、2003年
- ↑ チャンネル桜について 日本文化チャンネル桜
- ↑ 役員紹介 国家基本問題研究所
- ↑ 賛同者 南京の真実
- ↑ 呼びかけ人 『南京大虐殺』の歴史捏造を正す国民会議