大原康男
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大原 康男(おおはら やすお、1942年 - )は、神道学者。國學院大學名誉教授。
経歴[編集]
滋賀県大津市生まれ。洛星高等学校卒業。1965年京都大学法学部卒業。日清紡績勤務[1]。1972年國學院大學神道学専攻科修了[2]。1978年國學院大學大学院博士課程(神道学専攻)修了。同大学日本文化研究所に入所[1]。1994年「神道指令の研究」で博士(神道学)(國學院大學)[3]。國學院大學日本文化研究所教授を経て[1]、2002年國大學大學神道文化学部教授。2013年退任、國學院大學名誉教授[2]。
人物[編集]
- 「日本を守る国民会議」役員[4]。日本会議新憲法研究会メンバー[5]。1997年6月日本会議政策委員会代表に就任(当時日本会議常務理事)[6]。2017年時点で日本会議政策委員会代表・理事[7]。2020年時点では政策委員会代表を退任している[8]。2022年時点で日本会議代表委員[9]。
- 神社本庁教学委員[10]。神道政治連盟政策委員[11]。「二十一世紀の日本と憲法」有識者懇談会(民間憲法臨調)代表委員・運営委員[12]。日本の建国を祝う会会長[13]。産経新聞社「国民の憲法」起草委員会起草委員。国家基本問題研究所理事[14]。明治の日推進協議会参与[15]。公益財団法人日本文化興隆財団理事[16]。
- 日本青年協議会のメンバーでも「生長の家政治運動」のメンバーでもないが、日本青年協議会や日本会議の周辺でイデオローグのような立場におり[17]、日本会議系のイベントにメインスピーカーとしてしばしば登場する[5]。清洲山王宮日吉神社の三輪隆裕宮司によると、日本青年協議会のメンバー(百地章・伊藤哲夫・椛島有三・衛藤晟一・高橋史朗など)が「若い時代から私淑している師の一人」である[18]。
- 1995年6月6日、「戦後50年決議」に反対するために椛島有三や中川八洋(筑波大学教授)をはじめとする50人ほどの「民族派の幹部」が参院自民党幹事長室に詰めかけた[19]。自民党参院幹事長だった村上正邦によると、「民族派」とは日本青年協議会のことであり、その中には大原もいた[17]。大原は日本会議の機関誌『日本の息吹』2022年9・10月合併号に掲載された安倍晋三元総理への追悼文において、「戦後50年決議」が衆議院で可決された際に「責任者である加藤紘一政調会長を取り囲んで猛烈に抗議した」と述べている[20]。
- 1971年4月に大東塾関係学生が結成した東京日本主義学生連合(東京日学連)の委員長[21]、1971年6月に國學院大學の東京日本主義学生連合、桜花隊、若獅子皇道隊など民族派学生12グループが結成した連合組織「ひもろぎ会」の代表を務めた[22]。1971年11月に大東塾塾生、塾系学生が日本主義学生連合を結成し[23]、委員長に就任した[24]。日本主義学生連合の参与だった1973年9~10月にアラブを訪問した[23]。師岡熊野神社の石川正人宮司によると、70年安保の時代に左翼運動が激しかった國學院大學で「左翼に対抗する民族派の学生たちが『建学の精神を取り戻そう』とか『日本の国体を大事にしよう』という運動を起こした」が、その中心にいたのが大原だった[5]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『現御神考試論――現代天皇制への視座』(暁書房、1978年)
- 『帝国陸海軍の光と影――一つの日本文化論として』(日本教文社、1982年/展転社、2005年)
- 『忠魂碑の研究』(暁書房、1984年)
- 『天皇――その論の変遷と皇室制度』(展転社、1988年)
- 『象徴天皇考――政治と宗教をめぐって』(展転社、1989年)
- 『神道指令の研究』(原書房[明治百年史叢書]、1993年)
- 『平成の天皇論――象徴における聖と俗と』(展転社、1994年)
- 『戦後の神宮と国民奉賛』(伊勢神宮崇敬会[伊勢神宮崇敬会叢書]、2005年)
- 『現代日本の国家と宗教――戦後政教問題資料集成』(展転社、2008年)
- 『いわゆる「A級戦犯」合祀と靖国問題について』(モラロジー研究所[生涯学習ブックレット]、発売:廣池学園事業部、2008年)
- 『お国のために――一人の戦無派のモノローグ』(展転社、2013年)
共著[編集]
- 『国家と宗教の間――政教分離の思想と現実』(百地章、阪本是丸共著、日本教文社[教文選書]、1989年)
- 『平成時代の幕明け――即位礼と大嘗祭を中心に』(田中卓、所功、小堀桂一郎共著、新人物往来社、1990年)
- 『新しい歴史像の創造――過去の真実と未来への希望を結ぶ』(第2版(改訂版)、佐瀬昌盛、井尻千男、高橋史朗共著、富士社会教育センター教育総合研究所「歴史問題委員会」編、富士社会教育センター[パラダイムシリーズ]、1999年)
- 『皇位継承の危機いまだ去らず』(櫻井よしこ、茂木貞純共著、国民精神研修財団、発売:扶桑社[扶桑社新書]、2009年)
編著[編集]
- 『ほづつのあとに――殉職従軍赤十字看護婦追悼記』(小林清子、吹浦忠正共編、「アンリー・デュナン」教育研究所、1977年)
- 『ほづつのあとに――殉職従軍赤十字看護婦追悼記 続』(小林清子、吹浦忠正、田中須磨子共編、「アンリー・デュナン」教育研究所、1978年)
- 『ほづつのあとに――殉職従軍赤十字看護婦追悼記 続々』(小林清子、吹浦忠正、田中須磨子共編、「アンリー・デュナン」教育研究所、1980年)
- 『昭和から平成への天皇論』 (杉原誠四郎共編、至文堂[現代のエスプリ]、1990年)
- 『詳録・皇室をめぐる国会論議』(編著、展転社、1997年)
- 『「靖国神社への呪縛」を解く』(編著、小学館[小学館文庫]、2003年)
監修[編集]
- 文藝春秋編『終戦の詔書』(文藝春秋、1995年)
- 『教育勅語――教育に関する勅語』(監修・解説、ライフ社、1996年)
- 改訂版『教育勅語』(神社新報社、2007年)
- 『靖国神社遊就館の世界――近代日本の歴史探訪ガイド』(産経新聞ニュースサービス、発売:扶桑社、2003年)
- 國學院大學戦歿院友学徒遺稿追悼集刊行会編『國學の子我等征かむ――國學院大學戦歿院友学徒遺稿追悼集』(展転社、2004年)
出典[編集]
- ↑ a b c 大原康男 展転社
- ↑ a b 『日本を護る会レポートNo.36(PDF)』日本を護る会、2019年9月
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 寺田喜朗「日本会議と創価学会―安倍政権を支えるコミュニティ―」『現代宗教2017』国際宗教研究所、2017年2月
- ↑ a b c 青木理『日本会議の正体』平凡社新書、2016年、145-146頁
- ↑ 俵義文『日本会議の全貌――知られざる巨大組織の実態』花伝社、2016年、47頁
- ↑ 日本会議設立20年「キーマンに聞く」(第1回)日本会議政策委員会代表・理事 國學院大學名誉教授 大原康男氏インタビュー 元号法制化、御代替わり、終戦50年の戦い
- ↑ [要望]菅官房長官に習氏国賓来日の「中止」を要望(令和2年7月10日) 日本会議、2020年7月13日
- ↑ 役員名簿 令和4年7月1日現在・50音順 日本会議
- ↑ 『神社本廳教學研究所紀要』第2号、神社本庁教学研究所、1997年3月
- ↑ *改憲を掲げる勢力の行事を報道 宗教情報リサーチセンター
- ↑ 山崎雅弘『日本会議 戦前回帰への情念』集英社新書、2016年、215頁
- ↑ [報告] 2月11日、全国各地で建国記念日を祝う行事が開催されました 日本会議、2012年2月13日
- ↑ 「対日占領政策と神社神道」 大原康男・國學院大學名誉教授 国家基本問題研究所、2019年7月26日
- ↑ 明治の日推進協議会役員一覧 明治の日推進協議会
- ↑ (公財)日本文化興隆財団 役員・評議員等 名簿 令和5年10月25日現在(PDF)
- ↑ a b 菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書、2016年、67頁
- ↑ 神社本庁(日本会議)の見果てぬ夢 清洲山王宮日吉神社、2016年10月11日
- ↑ 魚住昭『証言 村上正邦――我、国に裏切られようとも』講談社、2007年、175頁
- ↑ 各界から(安倍晋三元総理 追悼) 日本会議
- ↑ 『警察公論』第26巻第11号、1971年11月
- ↑ 社会問題研究会編著『右翼・民族派事典』国書刊行会、1976年、231頁
- ↑ a b 社会問題研究会編著『右翼・民族派事典』国書刊行会、1976年、229頁
- ↑ 堀幸雄『最新 右翼辞典』柏書房、2006年、650頁