日本教育研究所

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日本教育研究所は、日本協議会・日本青年協議会の専門部[1]

概要[編集]

1968年に長崎大学で学園闘争に批判的な学生を中心に教育問題研究会が結成された。この研究会は各地の大学に結成されるようになり、1971年の佐賀県嬉野町での日教組大会への抗議行動などに取り組んだ。1971年にこうした学生たちが教育学生ゼミを開催し、1973年に出身者を中心に「日教組を告発する現場教師の会」を発足させた。1974年8月に学生・青年教師の全国連絡組織を結成した。日本青年協議会(日青協)は学生・青年教師の統一指導機関として日本教育研究所の設立を決定した[2]。1974年8月1~3日に日本教育研究所設立に向けた第一回教育研修合宿が明治神宮神宮会館で開催され(主催・日本教育研究所準備委員会)、第一回教育研修合宿全国会議決議事項として「一、日本教育研究所を結成し、教育運動の一大潮流を築く。二、青少年に日本の心を与える教育実践を強力に展開する。三、日教組スト反対運動に積極的に取り組む。四、全ての学校に国旗掲揚、国歌斉唱運動を巻き起こす。」を決定した[3]。1974年11月2~4日に日青協第二回全国大会が大阪府泉佐野市で開催され、大会3日目に日本教育研究所結成式が行われた。初代所長は金沢昭夫福岡教育大学4年)[4]。事務局は日青協と同一[2]

「教科書の作成、教育理論家、活動家を創出する拠点校の増設、教育基本法体制打倒の教育闘争を全国的に展開する」ことを目的とし、全国教育学生連絡会議、全国青年教師連絡会議を設けてこれを指導している[5]。「地区別青年教師合宿」や「教育学生ゼミナール」、青年教師や教育系学生を対象とした「全国教育研修合宿」[6]、小中学生を対象とした「まほろば合宿」(1988年~)[7]、高校生を対象とした「高校生セミナー」(1989~1997年)などを開催している。1998年から「まほろば合宿」の対象を小学生のみとし、「高校生セミナー」を中高合同の「中学生・高校生セミナー」として開催している[8]。全国教育研修合宿等では鈴木重信日本文化会議専務理事)、空花圭一東京都教師会)、安生幸比古日本教職員連盟委員長)、川上源太郎江藤淳福田恆存斎藤忠黛敏郎西義之久保田信之勝田吉太郎名越二荒之助村松剛[2]市村真一安東巖などが講師に招かれている[9]。日本教育研究所の青年教師の教育実践には「英語の授業を止め"天皇"授業を」(岡山県立高校)、「日本人の心情を培う――私の和歌指導」(広島の小学校)、「二学期は『日本の心』の指導を重点に」(奈良の小学校)、「道徳の時間に乃木将軍を扱って」(高知の小学校)、「元号法制化の祈りを"寄せ書"に」(福岡の小学校)などがある[2]

日本教育研究所の青年教師たちは日本教師会全日本教職員連盟(全日教連)に所属し[2]、全日教連の中心的な担い手となった[10]。それらの組織が存在しないところでは研究会をつくったり、個人で活動したりしている[2]藤岡信勝が1995年に設立した自由主義史観研究会には高橋史朗入川智紀多久善郎江崎道朗占部賢志など日本教育研究所所員や日青協関係者が多数参加していた[10]。「新しい歴史教科書をつくる会」や日本教育再生機構育鵬社自由社の教科書や明成社の『最新日本史』を支持する教員の多くが日青協関係者や全日教連メンバーであるとされる[10]。日本教育研究所の教育理論研究会代表を務めた松村俊明日本会議事務局長、日本教育研究所の事務局長や副所長を務めた教育学者の高橋史朗は臨時教育審議会専門委員、埼玉県教育委員会委員長、日本会議政策委員などを務めた。

発行物[編集]

備考[編集]

  • 日本教育研究所編『第二回全国教研特集 教育の構想』(発行:日本青年協議会)には、村尾次郎石井勲屋宮正三が執筆している[13]
  • 1976年10月の日青協第4回全国大会では日青協の各ブロック・地区の他、反憲学連・日本教育研究所・日本文化研究所の代表が活動報告を行った[14]
  • 石井小学校教頭の山崎文靖は、1974年の日本教育研究所設立当初の頃、「国旗掲揚・国歌斉唱実現への発言」「愛国心教育の実践」「日教組への非加入」の「青年教師三つの誓い」をつくったと述べている[15]。山崎文靖は2010年に明成社から『至誠の人 吉田松陰』を刊行した。

出典[編集]

  1. 専門部のご紹介 日本協議会・日本青年協議会
  2. a b c d e f 林雅行「臨教審専門委員インサイド・レポート」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第199号、1985年2月
  3. 日本青年協議会「近況報告」『祖国と青年』第17号、1974年11月
  4. 日本青年協議会「活動報告」『祖国と青年』第18号、1975年2月
  5. 社会問題研究会編著『右翼・民族派事典』国書刊行会、1976年、194頁
  6. 「動脈」『祖国と青年』第25号、1976年10月
  7. 『祖国と青年』第28巻第7号(通巻226号)、1997年7月
  8. 「グラビア」『祖国と青年』第29巻第24号(通巻240号)、1998年9月
  9. 「動脈」『祖国と青年』第31号、1977年10月
  10. a b c 俵義文『日本会議の全貌――知られざる巨大組織の実態』花伝社、2016年、20頁
  11. 「動脈」『祖国と青年』第27号、1977年2月
  12. 『祖国と青年』第25巻第1号(通巻184号)、1994年1月
  13. 「動脈」『祖国と青年』第21号、1975年11月
  14. 「動脈」『祖国と青年』第26号、1976年12月
  15. 山崎文靖「連載――青年教師への手紙(その4)贈る言葉」『祖国と青年』第27巻第4号(通巻211号)、1996年4月