松村俊明
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経歴[編集]
早稲田大学出身。椛島有三、衛藤晟一、高橋史朗、伊藤哲夫、百地章、宮崎正治らとともに1970年11月に結成された日本青年協議会(日青協)の中心メンバーとなった[2]。1975年1月の第18号から1981年1月の第49号まで『祖国と青年』編集長。『右翼・民族派事典』(1976年)によると、日青協編集局長[3]、1974年11月に日青協の下部組織として結成された日本教育研究所の教育理論研究会代表[4]。終戦五十周年国民委員会(会長・加瀬英明)事務局次長[5]、「日本を守る国民会議」事務局次長を務め[6]、1997年5月日本会議の設立と同時に事務局長となった[7]。2004年4月の日本文化チャンネル桜設立の賛同者の1人[8]。天皇陛下御即位二十年奉祝委員会事務局長[9]。
出典[編集]
- ↑ 役員名簿 平成22年8月1日現在・50音順 日本会議
- ↑ 俵義文『日本会議の全貌――知られざる巨大組織の実態』花伝社、2016年、41頁
- ↑ 社会問題研究会編著『右翼・民族派事典』国書刊行会、1976年、200頁
- ↑ 社会問題研究会編著『右翼・民族派事典』国書刊行会、1976年、194頁
- ↑ 有門大輔「投稿 反日・毎日新聞を糾弾する」『政財界ジャーナル』第29巻第1号、1996年1月
- ↑ 「祖青〈伝言板〉」『祖国と青年』第26巻第7号(通巻202号)、1995年7月
- ↑ 椛島有三「巻頭言 日本会議設立に思う」『祖国と青年』第28巻第7号(通巻2126号)、1997年7月
- ↑ チャンネル桜について 日本文化チャンネル桜
- ↑ 役員名簿 天皇陛下御即位二十年奉祝委員会