笠谷圭司

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笠谷 圭司
かさたに けいじ
生年月日1979年11月10日(44歳)
出生地日本国旗.png日本 兵庫県三田市新地
出身校東京大学経済学部経済学科・財政専攻
京都大学大学院(満期除籍)
前職議員秘書
通信社記者
現職経営コンサルタント
所属政党自由民主党→)
日本維新の会
公式サイトかさたに圭司ホームページ

三田市議会議員
当選回数2回
在任期間2008年 - 2015年

笠谷 圭司(かさたに けいじ、1979年昭和54年〉11月10日[1] - )は、日本政治家経営コンサルタント[2]COVID-19ワクチン製剤会社アドバイザー[3]。元三田市議会議員(2期)。日本維新の会東京維新の会)の衆議院東京都第8選挙区支部長[4]

概要[編集]

高等学校退学後、フリーターを経て、東京大学を卒業[3]時事通信記者[5]兵庫県三田市議会議員を務めた[2]のち、路上生活(ホームレス)に転落したが、その後に廃品回収業、焼き芋販売業、国会議員秘書などを経て、現職へ至る[6][7]東京都杉並区天沼3丁目に事務所を持つ[3]

経歴[編集]

日本兵庫県[3]三田市新地に生まれる[5]

同市立けやき台中学校を卒業後[5]三田学園高等学校に進学。野球部に所属し、プロ野球選手を目指していたが、右を故障して手術を受け、断念した。学校を中途退学し、フリーターとしてガソリンスタンドなどでアルバイトをして過ごした[3]

1995年平成7年)1月、阪神・淡路大震災を経験した。当時の日本政府兵庫県庁の対応の遅さに怒りを感じたことで、政治に目覚めた[7][3]

東京大学[編集]

1997年(平成9年)3月に大学入学資格検定(大検)に合格。その後、東京大学へ入学する。同大学では経済学部経済学科へ進み、財政を専攻したほか、運動会応援部応援団)で活動した。学生時代は下高井戸および高円寺に居住した。2007年(平成19年)3月に卒業した[3]

応援部では旗手長を務め、2003年(平成15年)にはTBSテレビから取材を受けて「政治家を志している」と語った。当時すでに議員の事務所を訪問し、秘書アルバイトを志願していた[8]

三田市議会議員[編集]

大学卒業後は時事通信記者を経て[5]2008年(平成20年)から2015年(平成27年)にかけて、自由民主党(自民党)所属の三田市議会議員を務めた[3](2期)[5]

同時に京都大学大学院へ進学し、社会保障および安全保障を専攻したのち、2013年(平成25年)3月に満期除籍となった[3]

市長選挙に敗北[編集]

2015年(平成27年)、35歳で三田市長選挙に立候補した。笠谷の立候補によって保守派が分裂したため、所属する自民党から離党勧告を受けて追放され、無所属となった[6]

笠谷は「固定資産税都市計画税の10%減税」「高齢者医療介護対策基金」などを訴え[5]、選挙資金のために自宅を売却するほどの勝負に出た[6]が、次点で落選した[9]

路上生活[編集]

敗北した笠谷は住居すらも失った。生計を立てるために大阪アルバイト生活を送ろうとしたが、それすら採用されないこともあった[6]

気力を失い、公園ベンチ野宿をする日々を送った。同年の秋から冬までの5ヶ月間ほどは、完全なホームレス(路上生活)状態であった。空き缶を拾い集めて回収業者に売却して400円をもらい、200円の激安タバコパンチョコレートを買ってしのぐような生活だった[6]

奮起[編集]

しかし、そんな生活の中でも徐々に「頑張ろう」という気概が湧いてきたという。その後、廃品回収業に就職した。燃やせるゴミを集めて空き地で廃材を燃やしていた際、焼き芋の美味しさに感動したことから、焼き芋の路上販売業を思いついた。屋台を用意して駅前で焼き芋を販売したことで資金が溜まり、さらに弁当店を開業した[6]

政界に復帰[編集]

それをきっかけに経営に興味を持ち、経営を真剣に学ぼうとしていたところ、ある企業の社長と知り合った。同人物から自民党の国会議員を紹介され、国会議員秘書を務めた[6]

2019年令和元年)3月より、政治・経営コンサルタント業を開始し、戦略立案・財務分析、政治相談などを行う。同年10月からは、自民党の国会議員会館で勤務した。

秘書時代に日本維新の会(維新)の代表・松井一郎と出会い、松井に共感したことで、自民党から維新に移籍した[6]

笠谷は自民党を辞めた理由として「多くの業界や団体との癒着」「大量の資金を人件費や選挙活動に投下」「問題を先送りする傾向」することなどの「自民党の構造問題」を挙げている[3]。一方で維新については「維新はしがらみがない。『これをやったらあの団体に反対される』とかがない。」と評価している[6]

国政選挙へ立候補[編集]

2021年(令和3年)10月、第49回衆議院議員総選挙東京8区)に維新公認で立候補した(比例東京ブロックでも重複立候補)。同選挙区では自民党石原伸晃(現職。当選10回)、立憲民主党吉田晴美(新人)、維新の笠谷という三者による争いとなった[10]

他候補への評価[編集]

笠谷はかつて自身が所属した与党の自民党に対して、「規制改革は岸田政権にはできない」[8]「自民党の金銭を中心とした業界・団体との癒着構造を外から壊したい」[11]「この国をまとめられるわけがない」などと批判した。同時に最大野党立憲民主党に対しても、「共産党と手を組んだ立民にこの国の野党第一党を任せるわけにはいかない」[12][注釈 1]「共産党と立憲民主党では外交安全保障の考え方が違う。選挙が終わってから考えるというスタンスだが、これはあまりにも不誠実な態度だ」などと批判した[11]

笠谷は三候補の立ち位置について「2大巨大会社ですね。ビルがドンッと2つあって僕はその真ん中にあるラーメン屋のような感じ。2大会社の戦いに疲れた人やうんざりした人が応援してくれている」と評した[6]

選挙前には石原と吉田の接戦が予想された。しかし、笠谷は元自民党所属であり、かつ維新が自民党と類似した保守政党であることから、石原陣営からは「自民党への票を食い荒らしかねず、今回のような大激戦では勝敗を左右しかねない」と警戒されていた[12]

選挙結果[編集]

結果、笠谷は得票率14.38%(得票数4万763)にとどまり最下位で、比例復活も叶わず落選した[10]

同区では吉田が48.45%を得票して初当選を飾った。一方、石原は連続当選10回、在籍31年のベテランであったが、次点の37.17%にとどまって初めて落選し、比例復活にも及ばなかった。なお、吉田と石原との票差は3万1,961で、笠谷の得票数よりも小さかった[10]

落選後[編集]

現在は上述のコンサルタント業を継続し、またCOVID-19ワクチン関連企業のアドバイザーを務めて「ワクチンの常温粉末化事業」に参画している[3]

政策・主張[編集]

以下の記述は、2021年の衆議院議員総選挙の立候補時における笠谷の選挙公報[3]、および毎日新聞Yahoo!アンケートに対する回答[2][7]に基づく。

国家観[編集]

COVID-19対策[編集]

  • 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大防止と社会経済活動の両立については、「社会経済活動に重点を置くべきだ」[2]
  • 新型コロナウイルス(SARS-Cov-2)の感染拡大を防ぐためにロックダウン(都市封鎖)を法律で可能にするなど私権制限を強めることに「賛成」[2]
    • 「憲法に緊急事態条項(疫病)を設け、私権を制限する際には適切な補償を行う規定を置く」[3]
  • 新型コロナウイルス収束後の社会、経済のあり方については「コロナを踏まえて見直すべきだ」[2]
  • 「自民党と日本医師会との献金授受関係を調査・公表する。国産COVID-19ワクチンの生産をはじめ粉末常温管理[3]、研究開発の促進、行政の規制緩和、医師看護師、病床の確保などの課題に取り組む」[7]
  • 日本医師会と政権のしがらみを解消し、開業医の協力を適切に得ることができる法体系を整備し、医療体制を充実される。」[3]

外交・安全保障[編集]

経済[編集]

環境・エネルギー[編集]

教育・育児[編集]

  • 「画期的な商品やサービスの研究開発力、教育においては数学理科に優位の価値がある」[7]
  • 高等学校大学の無償化について所得制限をなくすことに「賛成」[2]
  • 日本政府が男性育児休業取得率を2025年までに30%にすることを目標に掲げている(2020年度の取得率は12.65%)ことについて、「目標は妥当だ」[2]

ジェンダー[編集]

政治[編集]

人物[編集]

  • 尊敬する政治家は高杉晋作。「壮大な構想と機動的な戦略、本質を見抜く洞察眼など、1人の行動でも世の中を動かせることを証明した」ことから[7]
  • 政治に必要なものは「洞察力、先見力、人間力」と考え、「じっくり目を見開いて、構造の本質を見ていきたい」と述べた[7]
  • 選挙広報車(1台の軽自動車)は自身で運転している[3]2021年衆院選では投票日の2日前に車が故障し[13]、翌日(選挙戦の最終日)には徒歩で広報活動を行った[14]
  • 廃品回収業や焼き芋の路上販売を行っていた時期には毎日トラックを運転しており、美空ひばり歌謡曲愛燦燦』をよく聴いた[3]
  • 実母は一人暮らしをしており、笠谷は母と同年代の女性を見るとつい声をかけてしまうという[3]
  • 動物が好きで[7]、過去にイヌネコ魚類を飼育していた。2021年11月現在ではオスのインコを飼育し、笠谷の名前を呼ばせている[3]

注釈[編集]

  1. 同選挙では、立憲民主党日本共産党選挙協力野党共闘)を行い、多くの小選挙区において立候補者を単一化することで双方の票を結集して当選を目指していた。それ以前の選挙では、立憲民主党などの野党と日本共産党が候補者を立てることにより、票が分散して落選することが多かったためである。なお、同様の選挙協力は自民党公明党も行っている。

出典[編集]

  1. 衆院選2021 - 笠谷 圭司(かさたに けいじ)”. 時事通信. 2021年11月10日確認。
  2. a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 第49回衆院選|笠谷 圭司(41)”. 毎日新聞. 2021年11月10日確認。
  3. a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 日本維新の会 かさたに圭司”. 笠谷圭司. 2021年11月10日確認。
  4. 所属メンバー”. 東京維新の会. 2021年11月10日確認。
  5. a b c d e f 平成27年7月26日執行 三田市長選挙広報”. 政治山. 株式会社VOTE FOR. 2021年11月13日確認。
  6. a b c d e f g h i j “東京8区〝2強〟に挑む東大卒の元ホームレス候補の「波瀾万丈」人生”. 東京スポーツYahoo!ニュース). (2021年10月29日. https://news.yahoo.co.jp/articles/da947c2b51db1593ab49310793cdf395c36bfa17 2021年11月10日閲覧。 
  7. a b c d e f g h i j k l 笠谷 圭司氏の候補者情報 | 衆議院選挙2021”. Yahoo!ニュース. 2021年11月13日確認。
  8. a b TBS (2021年10月26日). “参院静岡補選敗北で衆院選は、自民ベテランVS野党共闘VS維新【news23】”. YouTube. 2021年11月10日確認。
  9. 三田市長選挙開票結果(平成27年7月26日執行)”. 三田市. 2021年11月13日確認。
  10. a b c 2021衆院選 開票速報 東京8区”. 朝日新聞. 2021年11月10日確認。
  11. a b “激戦の東京8区 野党共闘で“大物”に挑む”. 日本テレビ. (2021年10月28日. https://news.ntv.co.jp/category/politics/964222 2021年11月13日閲覧。 
  12. a b 竹之内秀介 (2021年10月25日). “選挙区を歩く 東京8区 「石原王国」に地殻変動”. 産経新聞. https://www.sankei.com/article/20211025-2S3VJQVLIJNKBKKK7XLIXRFMHM/ 2021年11月10日閲覧。 
  13. 笠谷圭司 (2021年10月29日). “本日、車の寿命が来てしまいました。今までたくさん走ってくれました。明日からマイク一本で歩いてがんばります!”. Twitter. 2021年11月13日確認。
  14. 笠谷圭司 (2021年10月30日). “車が壊れたら、歩けばいい。”. Twitter. 2021年11月13日確認。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]