パン
パン(葡:pão、西:pan、仏:pain、英:bread。古くは日本で「麺麭」と称された)とは、
のどちらかを用い、代表的なパンは前者のタイプであり、イネ科の穀物であるコムギを製粉した小麦粉に水を加えて捏ねて作った生地を発酵させて焼いたものである。
その他の「グリアジンとグルテニンのいずれかを欠く穀物」を使用することもあるが、グルテンの生成量が少ないため増量材として用いられることが多い。
- ライムギにはグリアジンは含まれているがグルテニンが含まれていないので、「ライ麦パンと呼ばれるものもあるが、「ふんわり・ふっくら・モチモチ」という食感を出すのは難しい。
- 大麦はグルテンを含まないので、パンには向かない[1]。と云われるが、「平たいパン」として古代エジプトでは食されていた。書記の月給は「平たいパン二〇〇個と白いパン五個」だったという。
代表的なほうのパンは、大きく分けて
- リーンパン - 小麦粉・塩・イーストのみを原料とする(代表的なものはバゲット)。
- リッチパン - バター、玉子、砂糖などを加えたもの(代表的なものはクロワッサン)。
がある。
概要[編集]
世界中のほとんどのコムギ栽培地域で作られている。穀物の栽培がされていない北極圏のエスキモーや遊牧民も農耕民族との交易で手に入れた小麦粉でパンを作った。軍用のビスケットは重焼麺麭とされるパンの一種である。
ササの果実を製粉してパンを作った時代もある。生地を発酵させるのは酵母である。酵母が呼吸することで生地に二酸化炭素が混入して生地が膨れ上がる。このとき、エチルアルコールも発生するが、焼くことによって二酸化炭素と水に分解する。
沿革[編集]
有史以前[編集]
コムギやライムギといったコメを除くイネ科の作物を脱穀・製粉すると粉状になり、これを食す場合は煮るか焼くかになるが、まだ容器が登場しない時代は焼くしかなかった。しかしそれでは食べにくいので、水で練って塊とし、焼いて食すようになったのがパンの始まりである。ただし、コムギやライムギの栽培以前に存在した穀物もあり、それらがどのように食されていたかは不明である。採集したイネ科の植物の可能性もあり、農耕以前にパンが作られていたかは不明である。
とはいえ、米食文化においては「粒食」が一般的であり、「粉食」文化では一般的ではなかった。理由は「小麦」の「ふすま」を除くのが困難だったからである。
古代[編集]
いわゆる「世界四大文明」のひとつである古代バビロニア(チグリス=ユーフラテス文明。「メソポタミア文明」ともいう)は、小麦によって支えられていた都市文明である。
小麦は古代エジプト(ナイル文明)にも伝えられ、コムギや大麦を脱穀・製粉してパン[2]を作った。インダス文明に関してはよくわからないが、黄河文明では「南米北麦」と言われるように「南部では米」「北部では麦」が多く食されたという。「南船北馬」という言葉もあり、水利と麦作の関係はよくわからない。
自宅でパンを焼くほか、パン屋ができ、貨幣でパンを購入できるようになった。
また古代エジプトではピラミッド建設の労働者にパンとビール[3]が支給された。
製造は同じ工場の中で行われたが、現代ではビールは大麦を発芽させたものから作られ、パンは一般的に小麦粉から作られるため糖化のプロセスを経ていないため、当時の製法は不明である。
「古代エジプトのコムギの製粉には大量の細かい砂が混じり、パンに混入してそれが歯をすり減らし、古代エジプト人の寿命を縮めた。これは庶民だけでなく、多くの王侯貴族も例外ではなかった」という意見もある。
北ヨーロッパではコムギの栽培には寒冷であり、しばしば凶作が襲った。そのときにもコムギの雑草であるライムギは生き残り、やがてライムギがコムギから独立して栽培されるようになり、ライムギパンが普及した。
また、コムギに寄生した麦角菌による中毒も存在した。
のちに「無発酵パン」(「お焼き」的なもの。「種なしパン」とも呼ばれる)と「発酵させたパン」の区分ができた。もちろんどちらも「パン」の一種ではあるが、中華饅頭やピッツァはともかく饂飩やお好み焼やラーメンは、(少なくとも日本人にとっては)「パン」というより「麺」である。
中世[編集]
ヨーロッパではパンは教会が焼き、消費者が貨幣を支払うことによって教会は大きな利潤を得た。
近世[編集]
アメリカ大陸からサツマイモやジャガイモが伝わり、貧しい人の食べ物になり、コムギでできたパンは金持ちの食べ物となった。
呼称と分類[編集]
- 「ブレッド(Bread)」: 一般的にはパンの総称。
- 「ローフ(Loaf)」: 大型パンの総称。
- 「ロール(Roals)」: 小型パンの総称。
- 「バンズ(Buns)」: テーブルロールよりも大きめで、ハンバーガーなどに用いられるもの。もちもち感を抑えた歯切れがいい生地を生み出すために、「麩(ふ)切り」という特別な工程を加えている。“麩”とはグルテンのこと。そもそもグルテンとは、小麦粉の成分に含まれる「グルテニン」と「グリアジン」という2種類のたんぱく質が絡みあって形成したものであり、麩切りとは、このグルテンの結びつきをあえて引き離す工程である。酢を加えるとホットケーキはふっくらとなり、アルカリが入ると中華麺のように腰が出る。
これらは代表的なものでしかなく、各国文化においては別の呼称と分類体系があることを指摘しておく。
日本のパン[編集]
記録に残っているものとしては、江戸時代後期の軍学者(高島秋帆や江川太郎左衛門)が(かつて砲兵であった)ナポレオンに学び、製鉄用の反射炉がパン焼きに使えることに思い至って「炊飯では煙が出て敵に居所が判明して危険」かつ「保存がきき簡便」な糧食とした。これはよく焼き締めた、乾パン(ビスケット)に相当するが、ピザ窯も反射炉の一種であるので、ピッツァもパンの一種である。
後に壊血病の予防として「乾パンを煮て食う」ということも行なわれたようで、青森県などで「せんべい汁」がある。これは固いパンを食べやすくするものである。ヨーロッパでは十七世紀には行われ、「赤ずきん」の類話では、(おそらくはドーナツ形の)大型の乾パンとバターと蜂蜜の壺とワインの瓶(ガラス製ではなく、陶製のアンフォーラ)を持ってゆくバージョンがある。
明治時代になると文明開化の影響でパンも作られたがさっぱり売れず、あんパンが作られたという。軍の給食にも出されたが、兵士には不評だった。海軍兵学校の朝食はパンと砂糖、味噌汁であった。
「米を食べるとバカになる」というデマは米を消費させないよう言い出したものである。
学校給食[編集]
太平洋戦争後の小学校で学校給食が始まったとき、コッペパンが給食に出された。米飯給食が始まってからは出番が少なくなったが、製パン業者の廃業でパン給食が難しくなった自治体がある。学校給食に出されるパンは地元の中小企業の製パン業者が多い。
米粉パン[編集]
米余りや小麦アレルギー患者のために米粉を使ったパンである。うるち米粉をこねて焼くと煎餅になり、糯米をこねて焼くとおかきになるのでパンにするには工夫が必要であった。「米粉を使ったポップオーバー」というのが妥当な解釈である。 米麹で糖化させて酵母で発酵させれば、「ほぼパン」ではある。
パン小麦の産地など[編集]
カナダのマニトバ州に由来する「マニトバ」と米国のコロンビア州産の春小麦(コロンビア・スプリング)、コロンビア州産の冬小麦(コロンビア・ウィンター)の評価が高いらしい(野坂昭如による)。とはいえ「マニトバ」は強力粉全般を指すため、イタリア産のマニトバもある。
讃岐うどんに好適とされるオーストラリアン・プライム・ハードも、パン用小麦として適している。
類似した食品[編集]
- ドーナツ
- 小麦粉を練って発酵させて揚げた食品。揚げパンは焼いたパンをさらに揚げたもの。
- すいとん(水団)
- 小麦粉を練って汁物に入れたもの。
- カステラ
- 砂糖と卵黄を加えて焼いた食品。
- ケーキ
- 砂糖とバターを加えて焼いた菓子。
- ビスケット
- 小麦粉を薄く延ばして硬く焼き締めた食品。
- ホットケーキ・パンケーキ
- 「鍋焼きパン」である。フライパンで焼いたものが多い。
- 饅頭
- 小麦粉を練って発酵させて蒸した食品。蒸しパンも同様な食品である。
販売箇所[編集]
大抵の食品売り場で販売している。スーパーマーケットやコンビニエンスストア、ドラッグストアでも売っている。また町のパン屋では焼きたてが売られており、大手メーカーよりも人気が高い。少し大きな町ではパン屋が町の文化を支えているところもある。
文化[編集]
キリスト教ではパンはイエス・キリストの肉体、ブドウ酒はその血を意味し、聖餐に出される。ただし、聖餐に用いられるのは「種なしのパン」と呼ばれる無発酵パンである。
フランス革命も、21世紀に起きたエジプトの革命もパンの値上がりがきっかけと言われるくらい、パンの値段は庶民の経済に深く浸透している。