大学院
大学院(だいがくいん)とは、上級学位(修士、専門職学位、博士)を付与する高等教育機関である。
概要[編集]
大学卒業後、あるいは大卒相当者が、さらに学問を極めたい人のためにある教育機関。大学で学部と言われる組織は大学院では「研究科」と呼ばれる。
大学学部と異なり、講義に関する受動的な勉強より能動的な演習や研究に重きが置かれ、大学院入学と同時に、指導教員を教授または准教授から1名選び、指導教員の指導のもとで研究活動を行う。
よく、指導教員が○○教授であることを、「○○研究室に所属している」と言う。この言い方は、研究室という名の部屋が存在しない大学院においても使われる。
研究結果を論文として提出し、審査に合格すると、修士号または博士号が授与され、課程修了となる。
入学資格[編集]
修士課程は大学学部卒業者または専修学校 高度専門士課程卒業者、各省庁大学校卒業者を原則とし、入学するためには、大学院入試に合格する必要がある。
大学院入試のことを院試と呼ぶ。放送大学でも修士課程は院試を行っている。
一方、院試に先行して入学資格審査(22歳以上)を通過することで、社会人実績のある中卒以上の入学が認められる。著名人では、桑田真澄、菊池桃子、稀勢の里寛が大学学部等を経ないで大学院修士課程を修了している。
歴史[編集]
- 1886年(明治19年)3月2日の「帝国大学令」第二条により大学院が制度化された。学術技芸を攻究するための機関として、学術研究機関と位置づけられた。1887年(明治20年)5月21日の学位令(勅令第十三号)によれば、博士号の種類は法・医・工・文・理の5種類とされた。
- 太平洋戦争で学徒出陣により多くの大学生がペンを剣に代えて軍に入ったが、学問の消滅を憂いた東條英機が設立した(という説は疑問である。その前から大学院はあるので[注 1])。
- 戦後の学制改革で、戦前には無かった欧米のマスター学位修得相当の課程である修士課程が新設された。
エンペディアでは[編集]
利用者:M72970が2024年4月より大学院に進学したことを明かしている。大学名は身バレ防止のために明らかにしていない。
年限[編集]
博士課程で前期・後期課程がある場合、標準修業年限は5年(前期2年、後期3年)で最長在学年数は10年(前期4年、後期6年)であり、前期課程修了で修士課程修了相当とされる。
一貫制博士課程では博士2年から3年に上がる際に修士論文等は課されない。
博士課程を有さない大学院の修士課程の標準修業年限は2年、最長在学年数は4年である。修士課程(または博士前期課程)では論文(修士論文)を提出する。
なお、早大大学院スポーツ科学研究科の1年課程のように修業年限が1年の大学院修士課程もある。
独立設置の博士課程は標準修業年限は3年で最長在学年数は6年である。修士課程の無い医歯獣医系は標準修業年限は4年で最長在学年数は8年で長期履修生として在学できる。
博士課程(または博士後期課程)では満期退学という制度がある。これは、必要な単位を取得し、論文審査を受ける前に退学することである。
博士課程満期退学の場合は博士号を取得していないため、最終学歴は修士課程修了になるが、満期退学者は博士号を取得していなくとも、日本では博士課程を終えた人と見なされることも多い。また退学後に博士論文を提出して論文博士を目指すこともある。
なお、修士で学部出身大学以外の大学院への進学[注 2]や修士と博士で別の大学院に所属することも可能[注 3]。
学生構成[編集]
文系は、専門職大学院を除き、大学院卒業者を採用する企業が少ない。さらに、研究職も枠が少ないことから、大学院に進学する学生の数は少ない。また、博士論文の審査も厳しく、簡単には修了できない。
一方、製造業では修士課程修了者を積極採用しているため、理系では特に工学系研究科で大学院進学者が多く、静岡県では公立学校の理科の教員採用試験で特別選考がある。
一方、博士の採用は多くないため、博士課程に進まず修士号取得後に就職する人が多く、企業在籍の傍ら国内留学扱いで博士課程に在籍して博士号を目指す人も少なくない。