山名氏

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山名氏(やまなし)は、日本氏族室町幕府守護大名で一時は山陰山陽に大勢力を誇り「六分の一殿」とまで称されるほどの大大名となった。一時期衰退するが、山名宗全の時代に復権を果たして再び大勢力となる。しかし宗全没後は周辺勢力の圧迫と家中の内紛で戦国大名への転身ができなかった。

概要[編集]

新田義重の子の山名義範上野多胡郡山名に住んで山名三郎と称したことから始まる。つまり新田氏の庶流なのだが、鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代においては本家の敵である足利尊氏に味方して活躍した。そのため、室町幕府が成立すると四職の一つに数えられ、山名家は宗家と分家が山陰を中心にして全国66州の6分の1に当たる11か国の守護を兼ねたため、「六分の一殿」とまで称される大守護大名となった。しかし山名家内部では家督をめぐる抗争があり、また山名家の勢力を恐れた尊氏の孫・足利義満によりその内紛を利用された謀略を仕組まれて、時の当主であった山名氏清は義満の挑発に乗って挙兵し、幕府軍の追討を受けて討死した(明徳の乱)。

守護大名からの没落後、江戸時代交代寄合として存続。大政奉還後に但馬で維新立藩を果たし、後に男爵となった。

脚注[編集]

参考文献[編集]