レニングラード攻防戦

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レニングラード攻防戦 (れにんぐらーどこうぼうせん)とは、第二次世界大戦中、レニングラードで起きた兵糧攻めである。

合戦までの経緯[編集]

独ソ不可侵条約を結んでポーランドに攻め込んだドイツソビエト連邦ポーランドを分割占領したが、ドイツは独ソ不可侵条約を破り、ソビエト軍に攻撃を開始した。不意を突かれたソビエト軍は各地で敗れ、ソビエト連邦領内に後退し、レニングラードまで退いた。

概要[編集]

市を占領しようとしたが輸送の滞りで失敗して[1]取り囲んだドイツ陸軍は市を壊滅するよう、仮に市内から降伏の申し出があっても黙殺するようアドルフ・ヒトラーから命令を受けた。大砲による攻撃を受け、市民は脱出することもできず、市内は攻撃だけでなく、飢餓、寒さ、病気によって多くの市民が命を落とした。冬期にはが凍結したので、これによって市内に生活必需品や武器、弾薬、工業製品の部品が運び込まれた。1944年1月27日まで889日間の攻防戦であった。

合戦の推移[編集]

大規模な疎開[編集]

ドイツ軍がレニングラードに迫る中、この都市にある大規模な工場を東側に移転することとした。また帝政時代からある美術品や工芸品も戦火にさらすわけにはいかず、東側に移転することとした。また、兵器の生産や戦闘と関わらない学童も東側に送ることとした。しかし、輸送に必要な客車貨車機関車とそれを動かす鉄道職員が不足していた。

市民の生活[編集]

食料の配給は7月1日から始まったが、質、量ともに不足していた。配給券の偽造は死刑とされた。冬になり、寒さが厳しくなると暖房のために木を切り倒され、空き家は解体された。また、カニバリズムも横行していた。[2]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. 鉄道の軌間の違いによる、ソ連側は広軌、ドイツ側は標準軌であった
  2. https://president.jp/articles/-/29722?page=1