台湾

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台湾(たいわん、英:Taiwan)は、東アジアの台湾島とその付属島嶼を指す。また中華民国の国名の通称としても使われる。首都は台北(タイペイ)。本項は島や地域の説明である。国家については「中華民国」を参照のこと。台湾の語源は不明確であるが、先住民が外来者や客を「ターヤン」または「ダイオワン」(Tayouan)と呼んでいたからという説がある。そのほか先住のタイボアン族(TaivoanまたはTevorang)に由来するという説もある。原住民の用語が起源であることは間違いない。

概要[編集]

中華料理をベースにしたものに由来する福建料理が混ざったもの、「台湾料理」が伝統的に作られている。その中で、「台湾ラーメン」は特に有名。

台湾の歴史[編集]

17世紀以前はマレーポリネシア系の先住民が台湾に居住していた。13世紀には漢民族の漁師が居住し始めるようになり、15世紀頃から漢民族の移住が始まり、16世紀頃には福建省の漁師や貿易商、中国日本海賊が往来した。1544年に台湾島を見つけたポルトガル人船員がフォルモサ(麗しの島)と叫んだことから、台湾島はフォルモサ(美麗島)とも言われた。1593年、豊臣秀吉は台湾に入貢を促した。 1622年、明軍とオランダ軍は8ヶ月に渡る戦火を交え、明はオランダが台湾に入ることを認めた。1624年、オランダの東インド会社が台湾を制圧し、オランダの統治下にはいった。オランダはゼーランジャ城、プロビンシャ城を造った。マーチヌス・ソンクがオランダの初代行政長官となる。オランダは台湾を中継貿易の拠点とし、米や甘藷を栽培するとともに、労働力を補うために漢系住民を中国大陸から大量に移住させた。その後、スペイン人が台湾に進出し、台湾北部を制圧した。1642年、オランダ軍は艦隊を派遣し、スペイン人を追い出した。1661年鄭成功は、大水軍によりオランダ勢力を一掃し鄭氏政権がオランダに代わり台湾を統治するようになった。台湾独自の政権として独立した国となった。1683年施琅率いる軍に鄭克塽が降伏して、清は台湾島を併合した。 1885年に福建省から分離し、1887年に省に昇格する。1894年からの日清戦争で清が大日本帝国に敗北し、1895年の下関条約で清は台湾を大日本帝国に割譲することになる。1945年に第二次世界大戦で日本が敗北すると、中華民国の統治下に入る。その後、中国では国共内戦に突入し、中華民国は台湾の台北へと移転した。

中国の文献に台湾が現れるのは、清朝が台湾を統治し始めて以降のことである。1949年、中華民国は政府を中国大陸から台湾島に移転した(台湾遷都)。

台湾の地理[編集]

台湾島は台湾本島のほか付属する77の島嶼からなる。総面積は35,980 km2 (13,892 sq mi)である。人口は2020年現在で2357万人である。漢民族は98%、台湾原住民は2%である。

西は中華人民共和国に接し、北東は日本に接する。南はフィリピンに接する。3,000m級の山が200座以上あり、最高峰は東アジアで最も高い3,952mの「玉山」である。日本統治時代には「新高山」と呼ばれていた。

台湾の都市[編集]

台湾の都市には直轄市、市、県轄市がある。直轄市は6市あり、台湾政府の行政院が直接統治する自治体である。県轄市10万以上50万未満の人口があり、商工業が発達し独自財政が充実した自治体である。市長は公選であり、14の県轄市がある。 最大人口の都市は台湾北部の新北市(直轄市)であり板橋、淡水、鴬歌、瑞芳、烏来および八里などの区を含み、人口は約400万人である。第二の都市は台湾南部の高雄市(直轄市)である。中華民国の直轄市であり、人口は277.3万(2019年時点)である。三番目は台湾中部の台中市(直轄市)であり、台湾有数の工業都市である。四番目は中華民国の首都の台北市であり、人口は約270万人である。