地中海航空戦

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地中海航空戦 (ちちゅうかいこうくうせん)とは、第二次世界大戦時に、イギリス空軍と枢軸国側のドイツ空軍、イタリア空軍が地中海制空権を争った戦いである。

概要[編集]

北アフリカへ軍需物資を運ぶ枢軸国の輸送船に対してマルタ島に駐在するイギリス空軍が軍用機によって通商破壊を行う可能性があったので、これに対して枢軸国側が攻撃を開始した。一方、イギリス側も保護国であるエジプト王国英領インド帝国との連絡には南アフリカ連邦を経由するよりは危険であることは承知の上で遥かに短い距離の地中海航行を選んでいた。そのためこの地域の制空権は必要であったのでマルタ島の死守は絶対であった。

合戦の経緯[編集]

宣戦布告[編集]

1940年6月10日イタリア王国グレートブリテン及び北アイルランド連合王国フランス共和国宣戦布告、その直後からイタリア空軍によるマルタ島空襲が始まった。旧式の戦闘機がわずか3機しかいなかったイギリス空軍だがレーダーが配置されており、あらかじめ敵機の襲来を予測できたのでこれを撃退した。しかし、マルタ島防衛のためにはこれでは足りず、本国から航空母艦で最新鋭の戦闘機の輸送を行った。一方、イタリア空軍の戦闘機も最新鋭のものに変えてマルタ島への攻撃を再度行った。

ギリシア侵攻[編集]

1940年10月28日、イタリア陸軍は既に占領していたアルバニアからギリシア王国に侵攻し、イタリア空軍も400機を投入した。翌10月29日にはイギリスはクレタ島へ派兵してギリシア軍を助けた。しかし、アドルフ・ヒトラー1941年3月1日ブルガリア王国日独伊三国同盟に加盟させ、3月25日ユーゴスラビア王国にも加盟させたが、ユーゴスラビア王国で加盟反対のデモが起きると陸軍のクーデターが発生し、加盟を取り消されると1941年4月6日にユーゴスラビア王国に侵攻し、11日後に降伏に追い込んだ。同日にドイツ軍がブルガリア王国からの侵攻によりギリシア軍は壊滅し、イギリス側の戦局が悪化して4月21日にギリシアから撤退、さらに5月20日にはドイツ軍の大規模なクレタ島へのユンカースJu52による空挺部隊の投入により 1941年5月31日にイギリス軍が撤退し、クレタ島が枢軸側の手に落ちた。

不沈空母[編集]

これにより地中海東部でのイギリス船舶の航行が不可能になり、エジプト王国や英領インド帝国への連絡は南アフリカ連邦経由になると、マルタ島はイタリアと北アフリカを結ぶ航路の攻撃基地となった。「枢軸側の湖」と化した地中海であるが、その中央に位置するマルタ島はジブラルタルとともに枢軸側からみればイギリス軍によって支配される喉元の刺であった。船団護衛の役割は失っても通商破壊として重要な不沈空母であった。

関連項目[編集]

参考文献[編集]