独ソ不可侵条約
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独ソ不可侵条約(どくそふかしんじょうやく、独:Deutsch-Russischer Nichtangriffspakt、露:Договор о ненападении между Германией и Советским Союзом)とは、1939年8月23日に締結された国家間条約。
経緯[編集]
ナチズムと共産主義はイデオロギー的に相容れない存在であり、ドイツとソ連が同盟を結ぶような事はないと信じられてきた。しかし、オーストリア・チェコに領土を広げ、ポーランドを手に入れようと企むヒトラーと米英仏に不信感を募らせるスターリンの利害が反自由主義という面で一致し、二人の独裁者は手を組むこととなる。
内容[編集]
表向きの内容は、「ドイツとソ連は互いに侵攻しない」という穏やかなものであった。しかし、この条約には秘密条項が存在した。それは、ポーランド西部は独領、ポーランド東部とバルト三国(ラトビア・エストニア・リトアニア)はソ領に分割するというものである。
なお、条約の有効期限は10年で、片方が破棄しなければ5年延長されるシステムであった。
海外の反応[編集]
イギリス・フランスにとってこの条約はナチスに対する融和外交の失敗を象徴する出来事となり、外交方針の大幅な変更を余儀なくされた。
また、ドイツと防共協定を結んでいた大日本帝国でも、「欧州情勢は複雑怪奇」として近衛文麿内閣が総辞職に追い込まれた。大日本帝国陸軍内では北進論が衰退し、南進論者が勢いづく結果となった。