イタリア社会主義共和国
ナビゲーションに移動
検索に移動
イタリア社会主義共和国 (いたりあしゃかいしゅぎきょうわこく)は、かつてヨーロッパに存在した国家、ナチス・ドイツの傀儡政権である。「サロ共和国」とも呼ばれる。
イタリア社会主義共和国
Repubblica Sociale Italiana
Repubblica Sociale Italiana
国旗 | |
首都 | ローマ(法律上) サロ(実質的には) |
最大都市 | サロ、ミラノ |
公用語 | イタリア語 |
建国年月日 | 1943年9月23日 |
亡国年月日 | 1945年4月25日 |
通貨 | イタリア・リラ |
通貨コード | ITL |
国歌 | 青年 |
最高指導者等氏名 | ベニート・ムッソリーニ(国家頭領) |
元首等氏名 | ルドルフ・ラーン(駐伊ドイツ大使) |
概要[編集]
第二次世界大戦後期の1943年にイタリア王国はベニート・ムッソリーニを解任し、後任のバドリオ政権が連合国に降伏した。このイタリアの裏切りに激怒したドイツ総統アドルフ・ヒトラーはイタリア国王によって逮捕・幽閉されていたベニート・ムッソリーニの救出を命じた。結果として9月12日にドイツ空挺部隊によりムッソリーニは救出され、ムッソリーニを盟主とするイタリア社会共和国が建国された。とはいえ、このとき既にムッソリーニは政治への関心を失っており、呆れたヒトラーは「いまやドゥーチェ(=ムッソリーニ)の関心は美しいイタリア娘だけだ」と述べている。そんなムッソリーニに代わって統治を行ったのがイタリア総督の親衛隊員カール・ヴォルフである。
一時期はイタリア半島北部の山岳地帯、最大でミラノからローマに及ぶ一帯を占領し、枢軸国として連合国と戦ったが敗北し、国家は瓦解した。
大日本帝国との関係[編集]
大日本帝国はこの国家を承認し、駐日イタリア王国大使館は、駐日イタリア社会主義共和国大使館となった。1945年1月にバドリオ政権に代わったボノミ政権は大日本帝国との同盟関係を破棄し、7月にはパルリ政権が大日本帝国に宣戦布告した。しかし、大日本帝国はムッソリーニ政権以外のイタリア政府は承認していないのでこの宣戦布告は意味がないとしている。