日中戦争
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日中戦争(にっちゅうせんそう、英:Second Sino-Japanese War)とは、1937年の支那事変をきっかけに始まった、大日本帝国と中華民国の間での戦争である。
概要[編集]
1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で原因不明の発砲から日本軍と中国軍が衝突する。当時の近衛文麿内閣総理大臣は事件不拡大の方針を破棄して強硬策を採用し、中国側も抗戦を決定。日本軍は北京、天津などに総攻撃を開始し、泥沼の日中戦争が開始されることになった。
なお、日中戦争の突入を受けて、日本では昭和13年(1938年)5月5日に国家総動員法が施行されることになった。これは日本政府が日本の国防目的の達成を名目にして、国民経済の統制と国民の戦争協力の強化を目指したもので、この法律により日本政府は国民の徴兵・徴用から物資の統制まで広範囲な権限を掌握することになった。さらに国民の言論統制や労働争議の禁止など、国民の自由もこれまで以上に制限して戦争協力を強制的に推し進めてゆくことになる。
当時の大日本帝国の戦況[編集]
戦争が続き、アメリカ合衆国は大日本帝国に対して中華民国からの全面撤退を求めた。これを断るとアメリカ合衆国は大日本帝国に対して経済制裁を加えた。大日本帝国は日独伊三国同盟の締結、インドシナ進駐を行うと、ついにアメリカ合衆国は大日本帝国に対して石油の禁輸を行った。アメリカ合衆国は大日本帝国に対してハル・ノートを提出、1941年に太平洋戦争が開戦した。これにより、大日本帝国は戦力を2方面に分断されていた。
先に中華民国と戦争してた大日本帝国がアメリカとイギリスの戦争にも踏み切った事で、大日本帝国はアメリカの物量の前に敗戦、中華民国は結果的にはアメリカに助けられたという構図になる。