戦車

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戦車(せんしゃ、:Tank[タンク] :Panzer[パンツァー])は火砲履帯を装備している兵器である。

名称[編集]

日本語では古代ローマ帝国古代ペルシア帝国、古代中国で使用された戦闘用馬車であるとされていた。しかし、第一次世界大戦に登場したこの新兵器にどんな名称を付けたら良いか混乱し「陸上弩艦」と名付けた書物があった。

概要[編集]

基本的に、回転砲塔とそれに耐えうる装甲、少なくとも歩兵に随伴でき、不整地走破能力もある無限軌道を有している。
そうでないものは装甲車自走砲などと呼ばれる。(BT42CV33など例外もある)

分類[編集]

一般的に第二次世界大戦までは重さ、大きさを基準に軽戦車中戦車重戦車に分けられた。
イギリスでは、歩兵に随伴する遅くとも堅牢な装甲を有した歩兵戦車、機動戦を繰り広げるための防御力を捨て、機動力を手に入れた巡航戦車に分けている。
戦後はMBT(Main Battle Tank,日本語:主力戦車)などがある。
他にもCV33など豆戦車マウスなど超重戦車ヘッツァーなどの駆逐戦車(戦車駆逐車だから戦車じゃないとか言っては負けである)などがある。

歴史[編集]

第一次世界大戦では、対峙する軍隊がたがいに塹壕を掘り合い、将兵がそこに身を隠した状態で小銃機関銃や火砲などを撃ちあって戦い、自陣の前には敵兵が容易に侵入できないように鉄条網などの障害物まで敷設されるようになった。歩兵や騎兵が旧来のような突撃を試みても、彼我の中間に広がる無人地帯では身を隠すこともできず、無防備なまま銃砲撃を受けて撃退されてしまった。こうした情勢が原因で戦線がすっかり膠着してしまい、一方が圧倒的に優勢になって戦線が一気に動くこともなく、何カ月にもわたって決着がつかないまま、死傷者の数ばかりが大幅に増えることになってしまった。

このように膠着してしまった戦線を突破するためにイギリスで考え出されたのが、戦車である。つまり戦車は当初、歩兵が塹壕から出て敵陣へ突撃する時に、彼等が敵の小銃や機関銃などの的になってしまわないように一種の「壁」となり、同時に搭載した銃砲で敵陣を制圧する「歩兵支援兵器」として登場したのである。「タンク」の名称は当初、「ロシア向け水タンク」として名称を秘諾したが、それだと「ロシア向けWC」となり、却って怪しまれることから単に「タンク」とした。 イギリスで開発された史上初の戦車、マーク I (Mk. 1)は、1916年にソンムの戦いに初めて実践投入された。これはドイツ軍にショックを与え、逃げようとする兵士も現れたが、初戦から故障などで行動不能になる車両が多発し、さほど効果は無かった。それでもイギリスは戦車の改良を続け、翌1917年11月にはドイツ軍の陣地を幾つも落とすなど戦果を挙げた。 その後各国は戦車の開発を活発化させ、フランスFT-17、ドイツはA7Vなどの戦車を生み出した[1]

砲塔の数について[編集]

戦間期に複数の砲塔を備えた戦車(多砲塔戦車)が開発された事もあるが、重量の増加により燃費が悪化し機動力が低下する、それを避けるために装甲を薄くし、砲口を小さくせざるを得ず、それぞれの方の指揮が乱れ接触する等問題が多く、さらに高価となったために量産されることはなかった。その巨大さからパレードには使われた。

現代の戦車は一つの砲塔に一つの主砲、同軸機銃と銃座が一つずつある形が基本になっている。

無砲塔戦車もあるが、多数を占めてはいない。

戦車の弱点[編集]

戦車キラー」も参照

装甲板は基本水平の撃ち合いに強い角度、傾斜装甲を利用しているものもある。機動力の低下を避けるためにも、もっとも分厚い装甲が施せるのは前面に限られている。そのため別の角度からの攻撃、側面や後方、上空の航空機や地面からの地雷による攻撃には案外脆かったりする。

APFSDSに対しても装甲の傾斜は効果が薄い。

爆発反応装甲[編集]

成形炸薬弾への対抗策となったが、APFSDSに対しては効果が薄い。

主砲[編集]

120mm程の滑腔砲が一般的で、弾頭は成形炸薬弾APFSDSが一般的。 なお、第二次世界大戦ごろは、砲は40mm~90mmのライフル砲で弾薬は徹甲弾や榴弾が主流だった。

砲ではなくて滑砲。グライディングじゃなくてスムーズボア。

関連項目[編集]

  1. FT-17は世界大戦終戦後も世界中で運用されたが、A7Vは非常に小さな運用に終わっている。