新羅
新羅(しらぎ、紀元前57年 - 935年)は古代の朝鮮半島南東部を10世紀に渡り支配した朝鮮古代国家である。百済、高句麗を征服し、唐の勢力を朝鮮半島から駆逐して朝鮮半島を統一した。
概要[編集]
辰韓十二国のうち慶州の斯慮国を母体とし、1世紀から周辺諸国を征服し3世紀中に朝鮮半島南東部の統合を果たした。526年に大加耶を併合し加耶勢力の統合を成し遂げる[1]。『三国史記』によると現在の韓国の慶尚北道の地に巨大な卵が現れてその卵から男子が生まれ、赫居世(朝鮮読みでヒョッコセ)と名付けられた彼が成長して国王に即位したとされる紀元前57年が、新羅の建国年とされている。ただしこれは創作でしかなく、実際の建国年は中国や日本の史書を参考にすれば356年頃と見られている[2]。当初は辰韓のみを支配する小国に過ぎず、成長してからも高句麗や百済、日本の圧力に悩まされ続けた[2]。
7世紀に入り中国に唐が建国されると、唐と連合して660年に百済を征服し、その百済を助けるべく出兵した日本軍も663年の白村江の戦いで破った[2]。668年に高句麗も征服して朝鮮半島を統一する。その後、676年までに朝鮮半島から唐の勢力を駆逐して朝鮮統一を果たすも、中国東北地方および朝鮮半島北部の旧高句麗領土を失う[1]。
統一後、新羅は首都の金城(現在の慶州)を中心にして高さ70メートルに及ぶ壮大な仏塔を建設して繁栄を遂げた[2]。しかし8世紀の終わり頃から国内で反乱が相次ぎ、国力の衰退が始まる。9世紀後半になると最早新羅には朝鮮全体を支配する力は無く、朝鮮半島北部に後高句麗、南西部に後百済が建国されて朝鮮半島は再び三国時代(これを歴史的に後三国時代と呼ぶ)を迎えた[2]。この中で大勢力に成長したのは後高句麗から簒奪して高麗を建国した王建であり、新羅の最後の国王である敬順王は935年に高麗に降伏して国を献上し、新羅はここに滅亡した[2]。
新羅関連の年表[編集]
- 紀元前57年 - 新羅が建国される(『三国史記』)。
- 356年 - 日本や中国の史書によれば、新羅が建国されたと見られる。
- 431年 - 新羅が倭人の侵入を受ける。
- 481年 - 高句麗が新羅に侵攻するが、撃退する。
- 503年 - 国号を新羅として統一する。
- 632年 - 朝鮮史上最初の女王とされる善徳王が即位する。
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 『概説 韓国考古学』 韓国考古学会編集、武末純一 庄田慎矢 山田孝文訳、株式会社同成社、2013年10月3日、初版。ISBN 978-4-8002-2156-8。
- 小和田泰経 『世界帝王事典』(株式会社新紀元社。2015年11月)