清野刑部左衛門尉(せいのけいぶざえもんのじょう)は、戦国時代の武将である。武田勝頼の家臣。
出生年・没年不明。1565年に真田幸綱の命令で岩櫃城に入る。その後武田勝頼の家臣となり、遠江国や駿河国の一部をおさめた。勝頼死後は伊達政宗に主君を移した。死後も清野氏は続き、仙台藩での家臣となり、現在も清野氏があるとされる。