推古天皇
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推古天皇(すいこてんのう、欽明天皇15年(554年) - 推古天皇36年3月7日(628年4月15日))は第33代天皇。日本初の女帝である。欽明天皇の皇女であり、額田部皇女 (ぬかたべのひめみこ)とも呼ばれた。美貌の女性だった。摂政は聖徳太子。
生涯[編集]
皇女・皇后として[編集]
『日本書紀』推古紀に「幼曰 額田部皇女 姿色端麗 進止軌制 」とあるように、幼いころから美少女として知られた。
17歳[1]のとき、異母兄の敏達天皇の妃となる。31歳までの14年間に、二人の男児と五人の女児を孕んだ。
585年、敏達天皇が崩御。翌年、未亡人の額田部皇女は強姦されそうになった。穴穂部皇子が殯宮に乱入し皇女を犯そうとしたのである[2]。皇女をかばおうとした寵臣の三輪逆は、逆に穴穂部皇子に殺されるところとなった。その後、推古天皇は穴穂部皇子に犯されたと考えられる。
女帝として[編集]
その後、用明天皇が崩御すると、竹田皇子までの中継ぎとして即位した。竹田皇子が亡くなると、有名な聖徳太子を皇太子とした。
子女[編集]
脚注[編集]
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