マレー沖海戦

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戦艦プリンス・オブ・ウェールズと日本の航空隊の戦闘を描いた絵画

マレー沖海戦(マレーおきかいせん)とは、1941年12月10日太平洋戦争開戦後に日本海軍とイギリス海軍の間に起った海戦のことである。

概要[編集]

1941年(昭和16年)後半、イギリスは極東における最大拠点シンガポールを防衛するため、キング・ジョージ5世級戦艦2番艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を基幹とする東洋艦隊を配備した。大日本帝国は、東南アジアを占領する計画(南方作戦)において重大な脅威となったイギリス東洋艦隊を、日本海軍基地航空隊(一式陸上攻撃機九六式陸上攻撃機)で攻撃することになった。同年12月10日、日本海軍航空隊はイギリス東洋艦隊戦艦2隻(プリンス・オブ・ウェールズ、レパルス)を撃沈し、この方面での初期作戦上で大成功をおさめた[1]

また、当時の「作戦行動中の新式戦艦航空機で沈めることはできない[注 1][注 2]」との常識を覆した[2]。当時の世界の海軍戦略である大艦巨砲主義の終焉を告げる出来事として海軍史上に刻まれている[3][4]

この戦いによって、航空機の重要性が認識された。

流れ[編集]

1941年12月8日、日本と米英の戦争「太平洋戦争」が開戦し日本陸軍はイギリス領のマレー半島に上陸する。これを受けて、12月9日、イギリス東洋艦隊トーマス・フィリップ提督は旗艦プリンス・オブ・ウェールズに乗り、戦艦2隻・駆逐艦4隻を率いてクワンタン湾の日本船団攻撃に向かう。その日の15時に、日本海軍伊号第65潜水艦がイギリス戦艦を発見。翌日、84機の攻撃部隊[注 3]。はクワンタン沖でイギリス戦艦2隻を攻撃。14時3分巡洋戦艦レパルスが、14時50分に戦艦プリンス・オブ・ウェールズ轟沈。

各艦の状況[編集]

イギリス海軍は日本の航空隊を甘く見ていたため、艦隊に戦闘機による上空掩護をつけていなかった事が敗因とされた。

プリンス・オブ・ウェールズ
当初、当時最新鋭戦艦だったプリンス・オブ・ウェールズを航空機のみで撃沈する事は不可能と両軍共に思われていた。そのため、航空機のみによる撃沈は世界的に衝撃を与えた。
6本の魚雷と爆弾1発を受け撃沈。
レパルス
旧式化していたが巡洋戦艦というだけはあり、運動性能はプリンス・オブ・ウェールズより優れていたようで、爆弾や魚雷を幾つも回避して見せた事は有名。若干金剛型に似ているとされ、日本の航空隊が雷撃を躊躇するシーンもあった。
5本の魚雷と爆弾1発を受け撃沈。

参考動画[編集]

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戦後[編集]

戦闘の数日後、第二次攻撃隊長だった壱岐春記海軍大尉は、部下中隊を率いてアナンバス諸島電信所爆撃へ向かう[5]。途中、両艦の沈没した海域を通過し、機上から沈没現場の海面に花束を投下して日英両軍の戦死者に対し敬意を表した[6][7]

宇垣纏連合艦隊参謀長は、イギリス戦艦2隻を引き揚げ修理した上で日本海軍への編入を思案したが、実現しなかった[8]軍令部もプリンス・オブ・ウェールズの引き揚げと調査のため、サルベージの手続きをとっている[9]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 作戦行動中ではなく停泊中ならばタラント空襲(1940年11月11日)や真珠湾攻撃(1941年12月7日)がある。
  2. 1941年4月23日にドイツ空軍はサラミス湾空襲で作戦行動中のギリシャ戦艦キルキスレムノスを撃沈している。ただし、両艦とも旧式化して練習戦艦となっていた。
  3. 元山航空隊25機、美幌航空隊33機、鹿屋航空隊26機

出典[編集]

  1. #写真週報第201号p.2『比類なき戰果 マレー沖海戰 撮影海軍省 十二月十日、マレー半島東岸クワンタン沖でわが海軍航空隊必殺の猛撃を浴びあへない最後ととげる英國東洋艦隊旗艦プリンス・オヴ・ウェールス號と戰艦レパルス號断末魔の姿―手前の白い水煙に包まれてゐるのはわが海鷲の適確な集中爆撃を浴びてゐるウェールス號、遠くは轟沈寸前のレパルス號』
  2. 「写真週報200号」p.9
  3. #ウエールス最後p.17
  4. #連合艦隊の生涯97-102頁『大艦巨砲時代去る』
  5. #神立(2004)44頁『戦場に投じた花束』
  6. #目撃者昭和史6巻262頁
  7. #少年海国物語p.27『數日後、我海軍旗は、その海の上を飛んで、さすがは、海の國イギリスの名を恥かしめず、最後まで大砲をうちながら沈んだ、フイリツプス大将と乗組員のために、美しい花束を投げおろした。』
  8. #戦藻録(九版)43頁
  9. #高松宮日記3巻331-332頁

参考文献[編集]

  • 石橋孝夫「プリンス・オブ・ウェールズ撃沈の秘密」『写真・太平洋戦争(1)』光人社、1988年。
  • 猪瀬直樹監修 『目撃者が語る昭和史 日米交渉決裂から開戦へ 第6巻 太平洋戦争I』 新人物往来社、1989年8月。ISBN 4-404-01649-2 当時元山海軍航空隊司令 前田孝成「英東洋艦隊主力潰ゆ!」
  • 岩崎嘉秋 『われレパルスに投弾命中せり ある陸攻操縦員の生還』 光人社、1990年。ISBN 4-7698-0505-5
  • 宇垣纏著・成瀬恭発行人 『戦藻録』 原書房、1968年
  • 生出寿 『勝つ戦略 負ける戦略 東郷平八郎と山本五十六』 徳間文庫、1997年7月。ISBN 4-19-890714-5
  • 小沢提督伝刊行会編 『回想の提督 小沢治三郎』 原書房、1971年3月。
  • 神立尚紀 「壱岐春記 戦場に投じた戦士の花束」『戦士の肖像』 文芸春秋2004年。ISBN 4-89036-206-1
  • 甲斐克彦、『ドキュメント・マレー沖海戦』、「歴史群像太平洋戦史シリーズ2 大捷マレー沖海戦」、学習研究社、1994年、ISBN 4-05-600368-8
  • 小板橋孝策 『愛宕奮戦記 旗艦乗組員の見たソロモン海戦』 光人社NF文庫、2008年3月。ISBN 978-4-7698-2560-9
  • 佐藤和正「南方攻略作戦」『写真・太平洋戦争(1)』光人社、1988年、ISBN 4-7698-0413-X
  • 杉本惇 『追悼 山本五十六 海軍機関誌の「追悼号」が伝える在りし日の山本元帥の姿……。直近の人々が語る貴重な証言集!』 新人物往来社、2010年6月。ISBN 978-4-404-03867-8
  • 須藤朔 『マレー沖海戦』 朝日ソノラマ文庫航空戦史シリーズ、1982年。ISBN 4-257-17005-0
    須藤は鹿島航空隊所属、レパルスを雷撃。
  • 高松宮宣仁親王著・嶋中鵬二発行人 『高松宮日記 第3巻 昭和十五年~十六年』 中央公論社、1995年11月。ISBN 4-12-403393-1
  • ジョン・ダワー著・猿谷要監修、斎藤元一訳 『人種偏見 太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』 TBSブリタニカ、1987年9月。ISBN 4-484-87135-1
  • 豊田穣 『マレー沖海戦』 集英社、1988年。ISBN 4-08-749362-8
  • 中島親孝 『聯合艦隊作戦室から見た太平洋戦争 参謀が描く聯合艦隊興亡記』 光人社NF文庫、1997年10月。ISBN 4-7698-2175-1 中島は近藤中将の第二艦隊参謀として「愛宕」に乗艦していた。
  • ノエル・バーバー著・原田栄一訳 『不吉な黄昏 シンガポール陥落の記録』 中央公論社、1995年。ISBN 4-12-202224-x
  • 防衛研究所戦史室編『戦史叢書24 比島・マレー方面海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 潜水艦史』第98巻、朝雲新聞社、1979年6月。
  • 堀元美 『連合艦隊の生涯』 朝日ソノラマ文庫、1983年6月。ISBN 4-257-17028-X
  • ラッセル・グレンフェル著・田中啓眞訳 『プリンス オブ ウエルスの最期 主力艦隊シンガポールへ 日本勝利の記録錦正社2008年。ISBN 978-4-7646-0326-4 昭和28年啓明社版を再出版したもの。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『週報 第270号』。Ref.A06031043200。
    • 『週報 第271号』。Ref.A06031043300。
    • 『週報 第280号』。Ref.A06031044200。
    • 『週報 第281号』。Ref.A06031044300。
    • 『週報 第293号』。Ref.A06031045500。
    • 『写真週報 第200号』。Ref.A06031079500。
    • 『写真週報 第201号』。Ref.A06031079600。
    • Ref.C08030766200「昭和16年12月10日 プリンス・オブ・ウエールスの最後」
    • 『昭和16年12月10日 プリンス・オブ・ウエールスの最後』。Ref.C08030765900。(海兵第四十四期会)
    • 『昭和16年12月4日~昭和17年11月5日 鳥海戦闘詳報 (馬来沖海戦.ソロモン海戦等)(1)』。Ref.C08030746900。
    • 『昭和16年12月1日~昭和17年11月30日 軍艦愛宕戦時日誌(1)』。Ref.C08030744300。
    • 『昭和16年12月1日~昭和17年11月30日 軍艦愛宕戦時日誌(2)』。Ref.C08030744400。
    • 『昭和16年12月 馬来部隊護衛隊・護衛本隊戦時日誌』。Ref.C08030729700。
    • 『昭和16年12月8日~昭和16年12月12日 馬来部隊護衛隊・護衛本隊戦闘詳報』。Ref.C08030729800。
    • 『昭和16年12月~昭和17年2月 鹿屋空 飛行機隊戦闘行動調書(1)』。Ref.C08051613100。
    • 『昭和16年12月~昭和17年3月 美幌空 飛行機隊戦闘行動調書(1)』。Ref.C08051615300。
    • 『昭和16年12月~昭和17年5月 元山空 飛行機隊戦闘行動調書(1)』。Ref.C08051612100。
    • 『史話美幌海軍航空隊 美幌叢書 第5号(1)』。Ref.C08051770700。
    • 『昭和16年~昭和17年 大東亜戦争綴(第4戦隊高雄)(3)』。Ref.C08030743300。
  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
    • 朝日新聞 『マレー作戦:大東亜戦史 info:ndljp/pid/1908888』 朝日新聞社、1942年11月。
    • 内田丈一郎 「不沈戰艦が何故沈んだ」『海鷲決戦』 鶴書房、1943年7月。
    • 小笠原淳隆 『少年海国物語 info:ndljp/pid/1720077』 文祥堂、1942年10月。
    • 「マレー沖海戰」『海軍航空戦記. 第1輯』 海軍航空本部、興亜日本社、1944年8月。
    • 大本營海軍報道部編纂 『大東亞戰爭海軍作戰寫眞記録. 1 info:ndljp/pid/1880797』 大本營海軍報道部、1942年12月。
    • 大本営海軍報道部編纂 「海軍報道班員 斎藤圭助『エンダオ沖海戰とセレタ軍港攻略記』」『Z旗高く:四人の報道班員の手記 info:ndljp/pid/1130945』 実業之日本社、1943年5月。
    • 大本營海軍報道部編纂 『大東亞戰爭海軍作戰寫眞記録. 2 info:ndljp/pid/1880795』 大本營海軍報道部、1943年12月。
    • 第二復員局残務處理部 『馬来攻略作戦 info:ndljp/pid/8815625』、1948年5月。
    • 田口利介 『大東亜海上決戦 info:ndljp/pid/1460195』 遠藤書店、1942年2月。
    • 田口利介 『海軍作戦史:大東亜戦争第一年 info:ndljp/pid/1450057』 西東社、1943年5月。
    • 鉄道工学会 『大東亜共栄圏写真大観 info:ndljp/pid/1123941』 鉄道工学会、1943年8月。
    • 同盟通信社 『ハワイ海戰マレー沖海戰 info:ndljp/pid/1899831』 同盟通信社出版部、1942年2月。
    • 三島助治 「的を射たチャーチル演説。プリンス・オブ・ウエールズの廻航(pp.31-37)」『暴かれた恫喝者 info:ndljp/pid/1273638』 国民政治経済研究所、1942年2月。
    • 山内大蔵 『海国日本少年 info:ndljp/pid/1720099』 鶴書房、1943年3月。

関連項目[編集]

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