ベルリン
ベルリン(Berlin)とは、ドイツ北東部、エルベ川の支流であるハーフェル川とシュプレー川が合流する標高49メートルに位置するドイツの首都である。漢字では伯林と表記される。人口は1999年の時点で342万6000人。ベルリンとは湖沼地を意味する。16の連邦州のひとつで、都市州。
概要[編集]
1160年頃にブランデンブルク辺境伯のアルブレヒトが都市を建設したのが、ベルリンの起源とされている。当時は特に重要視もされない辺境都市であった。
14世紀半ばにハンザ同盟に加盟し、15世紀半ばにブランデンブルク辺境伯領の首都に定められた。1709年にプロイセン王国の首都に定められたのが、このベルリンの実質的な起源と言える。プロイセンの首都になるとこのベルリンは飛躍的に発展する。プロイセン王国が1871年にフランスを普仏戦争で破ってドイツ帝国として統一を成し遂げると、ベルリンはドイツ全体の首都に定められ、国際的大都市としての繁栄が開始された。1902年にドイツ国内で初となる地下鉄も開業した。
1945年にナチス・ドイツが敗れた際にソ連軍によるベルリンの戦いで同都市は壊滅的な打撃を受けて連合軍に占領される。しばらくはソ連にアメリカ・フランス・イギリスの4大国による共同管理を受けた後、米ソの対立が深まった1948年にソ連がベルリン封鎖を行ない、11月に東西に分断する。1949年にドイツが東西に分裂すると、東側は東ドイツの首都となり、西側はソ連を除いた3大国による占領管理の名目で西ドイツに帰属することになった。
しかし経済問題などから、早くより東ドイツから西ドイツへ亡命するドイツ人が急増し、これを危惧したソ連と東ドイツは1961年8月に総延長156キロに及ぶベルリンの壁を構築して東西間の往来を遮断し、この壁は東西冷戦の象徴的な存在と見なされるようになった。しかしその後も東ドイツから西ドイツへの亡命者は相次ぎ、1989年に東欧諸国が次々とソ連のくびきから脱して民主化が進められると、その波は東ドイツにも及んで同年11月にベルリンの壁は事実上崩壊する。そして1990年10月にドイツ統一が果たされると、ベルリンも東西の統合が果たされて行政上はベルリンが1つの州を形成する(実際は12区・891平方キロから成立する)ように定められた。
1991年6月、統一ドイツの首都にベルリンが復帰することが決定され、これにより主要な8つの省庁と首相府、連邦議会などが移転され、1999年9月にベルリンで統一ドイツの初議会が開催されている。
気候[編集]
外部リンク[編集]
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