大和 (戦艦)

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大和(やまと、英:Yamato)とは、大日本帝国戦艦

概要[編集]

史上最大の戦艦、大和型戦艦の1番艦で、大艦巨砲主義の時代の軍艦の頂点とされた戦艦群のさらに頂点に君臨していた。

切り札中の切り札とされ使い所が難しく、金剛などに比べると、あまり有効活用される事は無かった。

特徴[編集]

なんと言っても45口径46cm三連装砲塔。この主砲も史上最大で、当時の戦艦の全ての装甲を貫通する事を念頭に設計されていた。この砲撃に耐える事を想定した装甲が施されていた戦艦は大和型戦艦のみだった。

最期[編集]

太平洋戦争の終盤である昭和20年(1945年4月7日に戦局の転換を願いつつ同胞死闘する沖縄戦に向けて片道特攻すべく山口県沖から出航した。沖縄戦では座礁したうえその巨砲で戦局転換する予定だった。 そして坊ノ岬沖海戦となり、米空母艦載機の猛攻を受ける事になった。不沈艦とされた大和も許容量を超える多数の航空魚雷を左舷に受けて転覆・爆発し、現在は海底にその残骸が残っている。

乗組員およそ3300人のうち、生還者はわずか300人弱だったといわれている。

その他[編集]

活躍はあまり無かったものの、その圧倒的な存在は伝説的で、世界的に人気がある。

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関連項目[編集]

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