大日本帝国海軍
大日本帝国海軍 (だいにほんていこくがいぐん)は、かつて大日本帝国に存在した行政機関である。
創立以前[編集]
近代以前にも日本国内の海上兵力は存在したが、近代海軍の創立は1853年の黒船来航に影響を受けて創立された幕府海軍であった。その後、諸大名も海軍を設立した。
概要[編集]
天皇の元に軍港に鎮守府を設け、その下に2隻以上の軍艦からなる艦隊を設けた。これとは別に海軍省の基に海軍大学校、海軍兵学校といった学校を設置した。また、航空隊の変遷は目まぐるしく変化した。
艦艇[編集]
戦艦、巡洋艦、航空母艦といった軍艦と、駆逐艦、潜水艦といったその他の艦艇によって構成された。いずれも操船、戦闘には高度な熟練を要した。建造、運用にも莫大な費用が生じ、平時には国力の負担となった。
航空隊[編集]
人員[編集]
士官[編集]
海軍兵学校、海軍経理学校で養成した。入学試験は競争倍率が高く、難関であった。このほか、下士官からの選抜があったが、尉官は特務士官とされ、正規の士官とははっきり区別された。
下士官[編集]
兵から選抜される。このほかに海軍飛行予科練習生の制度があり、兵から下士官、特務士官と昇進していった。
兵[編集]
志願制となっており、14歳以上で5年間の兵役があった。高等小学校卒業程度の試験を受けて選抜される。
沿革[編集]
創立は1868年、倒幕を掲げる新政府に参加した大名家の海軍の寄せ集めで誕生した。イギリス海軍を模範とし、戦時に於ける船団護衛と通商破壊、敵海軍の殲滅のほか、平時には密漁、密輸の取り締まり、遭難者の救助が目的だった。後に幕府海軍を吸収した。国家の経済力が増大するのに伴い、施設や装備の充実が図られた。しかし、太平洋戦争によってそのほとんどが破壊され、敗戦を迎えた。廃止は1945年10月31日。翌日に第二復員省となった。
空軍独立問題[編集]
航空戦力の発達により、陸軍と海軍の航空戦力を統合して独立空軍を設ける案が存在したが、陸軍首脳部の消極的態度と海軍の猛反対によって実現しなかった。
主な合戦[編集]
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 百瀬孝『事典昭和戦前期の日本』吉川弘文館2002年8月20日第8刷発行。ISBN-4-642-03619-9
- 百瀬孝『事典昭和戦後期の日本』吉川弘文館1995年7月10日第1刷発行。ISBN-4-642-03658-X
- 大日本帝国海軍省『青年學校海軍智識』軍人會館出版課昭和15年5月20日改訂増補発行。