市辺押磐皇子
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市辺押磐皇子(いちべのおはしはのみこ 生没年不詳)は履中天皇の第一皇子で、顕宗天皇および仁賢天皇の父。
概要[編集]
磐坂市辺押羽皇子、磐坂皇子、市辺之忍歯王、市辺之忍歯別王、市辺之忍歯王、市辺之忍歯別王、市辺之押歯王、市辺王とも呼ばれていた。母は葛城葦田宿禰[読 1]の女黒媛[1]。 安康天皇は市辺押磐皇子に皇位を譲りたいと考えていたが、大泊瀬幼武尊(後の雄略天皇)はこれを恨み市辺押磐皇子を狩りに連れ出して残酷な殺し方をする[注 1][2]。
大泊瀬幼武尊(のちの雄略天皇)が安康天皇の崩御のあと一時即位したという説が『播磨国風土記』等に残されている[2]。
脚注[編集]
読み方[編集]
注釈[編集]
- ↑ 体を切り刻み、遺体を馬の飼い葉桶に入れ土に埋めたと伝えられる
出典等[編集]
参考・引用等[編集]
- 大河原竜一 『日本古代史大事典』 上田正昭、大和書房、2006年1月30日、1st。ISBN 4-479-84065-6。
- 笠原秀彦 『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』1617、中央公論社〈中公新書〉、2013年5月10日、27th。ISBN 4-12-101617-3。
- 安本美典 『倭の五王の謎』 講談社〈講談社現代新書〉、1981年12月10日、初版。ISBN 4-06-145637-7。