咸姫 (徳川家慶の娘)
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咸姫(みなひめ、文政9年1月12日(1826年2月18日) - 文政9年7月16日(1826年8月19日))とは、江戸時代後期の徳川将軍家の一族。
生涯[編集]
父は江戸幕府の第12代征夷大将軍(当時は将軍世子)・徳川家慶で5女。母は側室・加久(妙華院)。第13代将軍・徳川家定の異母妹に当たる。
文政7年(1824年)1月12日に江戸城西の丸で生まれ、1月18日に咸姫と命名される。1月28日に正室の喬子女王(浄観院)が教育することが決定された。5月15日に色直しの儀が行なわれる。7月16日、江戸城において死去した。1歳没。7月18日に江戸城を出棺し、寛永寺に葬送された。法名は諦明院殿真脱元性大童女。