米姫 (徳川家慶の娘)
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米姫(よねひめ、文政7年4月23日(1824年5月21日) - 文政12年3月5日(1829年4月8日))とは、江戸時代後期の徳川将軍家の一族。
生涯[編集]
父は江戸幕府の第12代征夷大将軍(当時は将軍世子)・徳川家慶で4女。母は側室・波奈。第13代将軍・徳川家定の異母妹に当たる。
文政7年(1824年)4月23日に江戸城西の丸で生まれ、5月1日に七夜の儀が行われ、米姫と命名される。文政9年(1826年)2月1日には、正室の喬子女王(浄観院)が教育することが決定された。
文政12年(1829年)3月5日、疱瘡のため江戸城において死去した。6歳没。3月7日に江戸城西の丸を出棺し、寛永寺に葬送された。法名は媱台院芳薫蓮弩大童女。